江戸時代から存在した勤怠管理の方法とは

勤怠管理の歴史を紐解く

前章では最新の勤怠管理についての事例について述べたが、この章では勤怠管理の歴史について紐解いていきたい。

勤怠管理の歴史において、それがどのようなものだったのか、知っている人は少ないだろう。現代では勤怠管理にはタイムカードやPCなどが使われるが、それが無かった時代、雇用主はどのようにして雇用者の勤怠を管理していたのだろうか。

三井越後屋の場合

そもそも勤怠管理は、ずいぶん昔から存在していた。決して、今に始まったことではない。

「三井越後屋」をご存じだろうか。

三井越後屋とは、三井財閥の前進となった呉服店のこと。17世紀以降の日本では、都市部において商業が発展し、巨大店舗がいくつか誕生した。そしてその店舗には、「男子奉公人」と呼ばれる従業員が、住み込みで働いていたと言われている。

1店舗において、どれくらいの男子奉公人が働いていたかというと、その規模は百人を超え、多ければ数百人にまでのぼる大所帯もあったようだ。三井越後屋は、この時代に発展した巨大店舗のうちのひとつであった。

そして、三井越後屋においては、奉公人の勤怠管理が行われていた。これは史料にも残されており、その方法や意義についても明らかとなっている。

しかし、ひとつだけ留意したいことがある。三井越後屋がこの時代に男子奉公人の勤怠管理を行っていたことは、史料にも残されている事実であるが、同時代に存在したその他店舗も、同様に勤怠管理を行っていたかというと、それは別の話になってくる。

商業が発達し始めたといっても、企業単位で営まれるというより、家族経営の店舗が多く、そのような場合にはあまり勤怠管理の必要性は見出されていなかったと言える。

規模から見る勤怠管理の必要性

三井越後屋が勤怠管理を取り入れたのは、必然であった。とてもシンプルな流れであるが、多くの奉公人を管理するために、どうしてもその枠組みが必要となったのだ。三井家は奉公人の勤怠管理を行うために、その方法を明文化し、運用した。以下では、三井越後屋に仕えていた奉公人の人数規模についてみていきたい。

まず三井越後屋は、江戸・京都・大坂と複数の都市に散らばっていた。そして、それぞれの店舗において、抱える奉公人は100人を超えていた。

各店舗における奉公人の人数が、史料に残されている。江戸本店では1768年時点で、342人。江戸向店では、1773年時点で197人。大阪本店では、1780年時点で248人。京本店では、1773年時点で175人であった。単純に足していくと、三井越後屋全店舗においては、1000名弱の奉公人が仕えていたということになる。

また三井家は、呉服屋のみではなくさらに両替店も手掛けていた。のちの、三井銀行である。三井家は、この時代から多数の店舗を持ち、相応の奉公人を抱えており、現代にある三井財閥の創設に向けて巨大グループへの一途をひた走っていたのだ。

昇進制度から見る勤怠管理の必要性

三井越後屋には、「昇進」制度が存在した。現代に働く私たちにとって、何も珍しくないこの昇進だが、17世紀にも存在したのだと知ると、少々意外に思ってしまうのはなぜだろう。それはおそらく、17世紀にここまでの規模で商業が発達していたことに対して、まず驚いてしまうからではないだろうか。

三井越後屋では、業種が「店表」、「台所」の2つに分けられ、それに沿って奉公人が組織化されていた。「店表」とは、対顧客の役割を担うグループで、奉公人は「手代」あるいは「子供」と呼ばれていた。「手代」の補助的な役割を担うのが「子供」だったようだ。

また、「台所」は、「店表」の日常的な生活を手助けする役割を担っており、「下男」と呼ばれた。この「手代」、「子供」と「下男」には明確な格差が存在していた。出自、年齢、与えられる名前などどれをとっても、明らかだ。

そして、「手代」、「子供」、「下男」それぞれの中において、職階が設定されていた。例えば、「子供」には2つの職階があり、「手代」には18の職階があった。この昇進については、ある程度の職階までであれば、基本的には年功序列であったと考えられている。よほど大きな問題を起こすのでなければ、自然と階級が上がっていく仕組みとなっている。

ただ、年功序列はある階級まで。そこからは、個人の成果次第となる。現在まで続いている昇進制度と同様である。17世紀から、人材管理方法はすでに試行錯誤され、そして形作られていたのだ。

三井越後屋では、このように昇進に関する制度を整えており、それに伴って、勤怠管理が必須となっていた。勤怠管理をすることにより、勤務態度が見えてくる。現代と同様に、ここに問題がある労働者は、まず昇進することは不可能である。

ここでは、なぜ三井越後屋において、勤怠管理が必要であったかをみてきた。次章では、三井越後屋の勤怠管理について定めた帳簿を紹介する。


勤怠管理の歴史

・江戸時代から存在した勤怠管理の方法とは
江戸時代に三井越後屋が築いた勤怠管理の方法
江戸時代における勤怠管理に使われていた「改勤帳」とは
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