「なんのために」がぼやけると、働く目的は迷宮入りする
情報の品質とは
師走に入り、一定のジャンルで、ネット上の特等席を独占していた記事が一斉に姿を消した。当該記事は、巧みなSEO対策によってグーグルを“翻弄”。狙い通りに、アクセスの大量獲得に成功した。同社のグロース担当者は、見事にそのミッションに果たしたといえる。だが、不特定多数の人に届けるコンテンツとしては不適切な部分があった…。
生死に関わる情報ながら、本来取るべき裏付けや専門家の監修をしていなかったのだ。この部分を担うのは通常、編集担当者の役割となる。テクニカルな部分と編集部。この両輪がかみ合うことで、ネット上では健全で有効な情報発信が可能となる。今回、一時的に記事を非公開にした当該企業のコンテンツ作成チームでは、編集の部分がほとんど機能していなかったようだ。仮にもメディアと謳っていたなら、残念ながらお粗末といわざる得ない。
なんのためにやるのか、を今一度考えよう
そもそも、SEOではいかにグーグルのアルゴリズムに適合しているかが重視され、検索順位が確定する。記事のクオリティや独自性も無関係ではないが、なによりもSEO対策が重要だ。そうなると、編集部門の腕の見せ所となる編集力が弱くても、“人気記事”を濫造可能となる。さらに、それによって収益が発生する仕組みがあるとすれば、企業力学として、そちらに力点が置かれるのも無理はない…。
人はなぜ働くのか。この疑問に対する瓦版アンケートの過半数を超える回答は「生活のため」だった。では、なぜメディアは情報発信をするのか。「金儲けのため」なのか…。もちろん否定はしない。だが、その優先順位は下であるべきだ。「それでは事業としてやる意味がない」。そう判断するなら撤退すればいい。明確なミッションを持たず、収益だけを追求するなら、少なくとも、「メディア」を名乗る資格はない。
(上瑠九)