パラダイムシフト
【パラダイムシフト】
パラダイムシフトとは、パラダイム(ある時代の支配的概念)がシフト(転じる)する。つまり、これまで当然だと思われていた事実が、根本から劇的に変わること。
1962年にトーマス・クーンという学者が「科学革命の構造」という本で提唱した言葉である。もともと、トーマス・クーンが提唱した「パラダイム」とは、あくまでも自然科学の枠組みのことを指していた。科学の進歩とは、積み上げていくものではなく根本の概念からガラッと変わるものである、ということだ。
それが一般に広まり、パラダイムという言葉が拡大解釈されて、ビジネスシーンでも応用されるようになった。ビジネスにおいて使われるパラダイムシフトは、固定概念を覆す、発想を転換するなどして新たなアイデアを生み出すという意味である。
働き方に関するパラダイムシフトが起こっている
団塊と呼ばれる世代が活躍していた1950年代~1960年代と、現在では明らかにワーカーの「働き方」においてのパラダイムシフトが起こっている。
高度経済成長期は会社主体の働き方だった
1950年からの約10年の雇用は、右肩上がりの経済成長を前提としたものだった。日本経済は安定的に成長を続けたため、国民の実質賃金は上昇し、それが購買力の上昇にもつながった。
この時代、成長を支えていたのは製造業で、「テレビ」「クーラー」「車」などを筆頭に、日本と言えば「モノ作り」と言われるまでになった。また、製造業は雇用を生み出すという大きな役割も果たし、製造業中心の日本の労働市場は熱を帯びたように活気あるものだった。
そして、製造業を中心とした働き方は3つの特徴を持っていた。
会社の力
圧倒的に会社の力が強かった。「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのコマーシャルで使用されたキャッチフレーズは、この時代の働き方を象徴している。
もちろん現代でも「社畜」という言葉が一般化するように、このような働き方が過去のものになったというわけではないが、一時代のパラダイムとして、身を粉にして会社に従事してこそのサラリーマンであり、「忙しいということはある種のステータスである」という意識が画一的であったと言える。
自分や家庭を犠牲にしたとしても「忙しく働くことは良いことである」というポジティブな概念が蔓延していたのだ。
終身雇用
この時代の働き方の大きな特徴である。雇用側は、日本経済と会社が成長し続けることを前提としていたため、終身雇用制度が成り立つこととなった。
終身雇用は、社員の会社への帰属意識を強めた。仕事で成果を出すことで会社が成長し、それが自分に還元されるため、会社のために働くという考え方が根付いた。また、終身雇用は、会社の伝統や文化を継承しやすいため、このことも帰属意識を強める一因となった。
そして会社が一致団結するという組織構造は、日本のモノ作りの力をさらに大きなものにしていった。
年功序列
もともと日本は1つのチーム単位で行う仕事が多く、個々の成果を算出することが難しかったために、年功序列の形態がとられた。
年功序列は、労働力の流出を防ぐ役割を果たした。同じ会社に長く務めることで次第に年収が上昇するため、途中で離脱しづらい構造となったのだ。
また日本では、年下は年上に従うべきという考え方が強かったことも、年功序列が根付いた理由である。
このように高度経済成長期は、持続的な成長を基盤とした雇用が行われ、これに伴いワーカーの働き方もひとつの形に定着していった。
これからの働き方は個々に寄ったものになる
1990年代に入るとバブルがはじけ、日本は低成長時代に突入した。さらに、円高や人件費の高騰の影響で、製造業の力が低下の一途をたどるようになってしまった。
これらのことは当然、日本企業の雇用形態に影響を及ぼすとことなった。右肩上がりの経済成長を前提とした雇用形態が崩れてしまったことで、ワーカーの働き方にも徐々に変化がみられるようになったのだ。
まず、製造業を中心とした働き方の3つの特徴はいまや、当然のことではなくなってきた。
会社の力
フリーランス、ノマド、クラウドソーシングなどの、新たな働き方が次々と誕生している。
中でも、クラウドソーシングの利用者は右肩上がりに増加し続けており、今後の行方が注目されている。会社に所属せずとも仕事を得るルートが一般に開かれたことで、働くイコール就職するという既成概念は消滅したと言っていい。
終身雇用
終身雇用が次第に機能しなくなってきた。日本経済が停滞し、企業が終身雇用を維持することが困難になってきたのだ。
このような背景に加え、国の政策として正規社員の雇用規制が緩和され、派遣社員、契約社員が増加したため、そもそも終身雇用のレールに乗らないワーカーも増加した。
年功序列
日本企業は、バブル崩壊後に海外の経営手法を数多く取り入れ始めた。そのひとつが、成果主義型の賃金体系だ。
もともと年功序列の賃金体系は、若い社員の意欲を削ぐのではないかとの指摘があった。これに対する解決策として成果主義が取り入れられたが、実はその評判は芳しくない。
例えば、トヨタ自動車は成果主義を取り入れたが、たった1年半で元の年功序列に戻した。これは、社員が若手の育成を怠るようになったことが理由。成果主義は、実力さえあれば年齢に関係なくポストが与えられるため、一律で誰もがライバル関係になってしまったということである。
年功序列に関しては、新たな給与体系として広まってはいるが、逆に原点回帰の動きがあることも確かである。
このように、高度経済成長の時代は、会社に身をささげるという考えを持って働くことが、パラダイムであったと言ってよい。
しかし、働き方は徐々に新しいものが生まれ、しっかりと定着するものも増えてきた。ここでひとつ、新たな働き方に関する具体例を紹介する。
パラレルキャリアという考え方が生まれた
これまでは、終身雇用制が採用され、ワーカーは一社で定年まで働き続けるのが当然だった。しかし、今後は一社にのみに所属するのではなく、一人2枚、3枚の名刺を持ち、様々な肩書を持つことが当たり前になってくると言われている。
こちらのインタビュー参照(http://w-kawara.jp/working-hours/work-design3/)。
この考え方は「パラレルキャリア」と呼ばれ、本業を持ちながらもそれ以外の仕事、あるいはボランティアなどにも従事することである。
終身雇用制が終焉を迎えつつある現代において、職を失うこと、あるいは年収が下がることへのリスクヘッジの意味も込められている。今後、稼ぐことの選択肢を増やそうと、自分にできることを模索する人は増えていくだろう。
このパラレルキャリアという考え方も、働き方に関するパラダイムシフトのひとつである。
天動説から地動説へのパラダイムシフト
よく用いられるのは、天動説から地動説へのパラダイムシフトの事例だ。
もともと16世紀まで、「地球を除くすべての天体は、地球の周りを公転している」という説が常識だった。地球は宇宙の中心で静止していると考えられていたのだ。
しかし、この天動説をもとにして作られた星図には問題があり、なぜか惑星の位置には数度の誤差が生じていたため、方位磁石と星図を信用して公開するにはかなりの不安があった。
他にも、1年の長さが当時の暦と合わず、正確な1年の長さが分からないという問題も発生し、天動説には多くの綻びがみられた。
そこで、当時カトリック教の司祭であったコペルニクスは、太陽を中心としてその周りを惑星が公転しているという地動説に光を当て、検証を行った。
当時、天動説は当然の事実であり、これを教会が支持していたため、地動説を唱える学者は異端とされ迫害を受けていた。地動説を唱えることは、処刑されてもおかしくないほどの大事であり、コペルニクスはこれを避けるため、死後に研究の成果を発表した。
そして、コペルニクスが地動説を体系化したことによって、天動説から地動説へのパラダイムシフトが起こった。このように、常識とされてきた物事が根本から覆ることを、パラダイムシフトという。