江戸時代における勤怠管理に使われていた「改勤帳」とは

改勤帳とはなにか

前章では、三井高房が京本店宛に出した「昼夜勤仕録」の内容についてみてきた。ここでは、この「昼夜勤仕録」を参考にして作られた「改勤帳」を紹介する。この「改勤帳」は、三井越後屋の複数ある店舗の中でも、京本店において使われた帳簿である。

ちなみに、この「改勤帳」での評価対象は、すべての奉公人ではなかったようだ。階級によって評価が与えられる奉公人とそうでない奉公人がいた。評価が与えられるのは、「手代」の中でも1部であり、「下男」はここには入っていなかったことを加えておこう。

昼夜勤仕録と改勤帳の違いについて

現代においては、2冊の「改勤帳」が現存している。そのうち、1771年から1786年までの、三井越後屋京本店での勤怠管理について記した帳簿についてみていく。「昼夜勤仕録」の流れを引き継いでいるため、それとはまったくの別物のようになっているわけではない。同じ項目から、新たに加えられた項目まで様々だ。

「改勤帳」に新たに加わった項目とは

その中で、新たに加えられた項目をいくつか挙げる。

・欠勤が「休足」と「私用他出」の2つに分類され、「休足」は「朱星」、「私用他出」は「黒星」が付けられることとなった。「昼夜勤仕録」では休んだ労働者には「朱星」が付けられ、病欠の場合は「黒星」が帳簿に記録された」と紹介した。しかし、これが「改勤帳」になると、「朱星」とされていた欠勤が「休足」と「私用他出」に細かく分けられた。

・欠勤状況について、1ヶ月の平均欠勤状況が割り出される。「昼夜勤仕録」では、「ある期間」となっていたが、「改勤帳」では半年ごととされた。星なし(欠勤なし)を、「大丸勤」、ここから星が増えていくにつれ「丸勤」、「丸勤同前」、「皆勤」などと定めて評価されることとなったのだ。「昼夜勤仕録」では、星なしの「丸勤」、あるいは星が8つほどまでであれば「皆勤」とされ、評価は2種類のみであった。

・個人の欠勤状況について、資料には具体例が残されていた。例えば半年のうち、「朱星」が46ヵ時、「黒星」が31ヵ時、「病気引き」が49ヵ時、夜引きが6ヵ時、すなわち合計132ヵ時の欠勤となり、月平均でいえば22ヵ時の星となっているとする。つまり、これでは皆勤という評価にすらならず、評価で言えば低いものと言える。

・奉公人の勤務状況は、初寄会で読み上げられる。

勤怠管理に基づいた褒賞制度とは

初寄会とは、年に2回開かれる会合のこと。他にも開かれていた会合とは若干位置づけが異なり、儀式的な意味合いを持つ大切なものであったようだ。もちろん、京本店の奉公人のみが集まるのではなく、三井家同族が一堂に会して行われる。ここで勤務成績を読み上げられるということは、一介の奉公人にとってこれ以上ない名誉であったと考えられる。

褒賞と言えば、パッと思い浮かぶのはボーナスのような金銭的なものだろうか。しかし現代の企業でも、例えば表彰のような、実利的なものとは離れた褒賞を与えることはよくある。全員の前で称賛されることは、昔も今も労働者にとっては変わらず名誉なことなのだ。

金銭的な褒賞も存在した

金銭的な褒賞についても存在したということが、史料に残されている。ただしこの史料を見てみると、半年ごとに算出される勤務記録と連動して、褒賞が決定されるのではなく、ある時点において過去何年分かをさかのぼって、その結果として褒賞を与える奉公人が決定されていたようだ。

例えば1765年には、1760年から1764年までの約4年分の勤務記録が算出された。そしてこれに基づいて、8人の奉公人に金銭的な褒賞が出されている。この褒賞の最高金額は1両1歩、最低金額は2歩であった。

規律違反における勤怠管理とは

勤怠管理を行う上で、規律違反への対処という部分を避けて通ることはできないだろう。この規律違反に関する勤怠管理には、「批言帳」をいう帳簿が役立っていた。

そして、管理については「組頭」が行ったと考えられている。三井越後屋京本店には、奉公人の管理を行うために設立された「組」という組織があり、そのトップが「組頭」だ。仕事としては、組下の奉公人の勤務状況を把握して報告すること、組下から出てきた意見を自らのフィルターにかけ上に伝えること、月に1度組寄会を開き規律違反を行った奉公人について報告することの3つである。

そして、「組頭」がどのようにして勤怠管理を行っていたかと言うと、例えば奉公人が「家出」、「業務怠慢」、「無断外出」などの規律違反を犯したとする。その場合には「批言帳」にその旨を書き記していた。そして、そしてそれを元にして対象となる奉公人への処罰が行われていた。

勤怠管理は帳簿への手書きで行われた

現代においては、勤怠管理は機械を使って行われることが一般的となっているが、17世紀では帳簿への手書きが当然であった。そしてそれは、機械が登場するまで続いていた。

勤務記録を一定の期間記録し、ある時にまとめて算出する。とくに三井越後屋では、何百人の奉公人を抱えており、しかも前述でみてきたように、勤務に関するルールも緻密に設定されていた。この勤怠管理だけでも相当に骨が折れる作業だったに違いない。この後も、勤怠管理は必要に応じて進化していくが、その過程については次章で紹介する。

上記3記事における参考文献:三井越後屋奉公人の研究(西坂靖/2006年/東京大学出版会)

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