インタビュー

会社員が夢中で仕事をするために必要なこと

投稿日:2014年9月1日 / by
この装備で果てしない北極の大地をたった一人で数百キロ歩行する

この装備で果てしない北極の大地をたった一人で数百キロ歩行する

就職氷河期をスルーして氷河の大地へ

〈インタビュー後編〉

北極冒険家

荻田泰永氏

そのままいけば直面していた就職氷河期の就職戦線へ飛び込むことなく、大学を中退し、氷河の大地へ乗り込んだ荻田氏。過酷な冒険を続け、日本人初の偉業達成に野望を燃やす北極冒険家が突き進む道に、会社員との接点は見いだせない。だが、荻田氏は「冒険家も会社員も変わらない」という。なぜそんなことが言えるのか。その真意には、悩める会社員に希望の光を与える、プロとしての確固たる信念が宿されているーー。

大学中退以来続ける命がけの挑戦の原動力とは

――大学を中退して、北極へ渡り、以来、毎年北極へ行きつづけています。命がけのチャレンジを続けるその原動力は、一体どこにあるのでしょうか。

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無目的な毎日がたまらなく嫌だったという大学時代の荻田氏

荻田 何の目的もなくただただ時間とお金が無駄だなと思いながらの毎日の学生生活の中で、「何か明確な目的が欲しい。自分は何かをやるんだ」と思っているときにテレビで偶然、大場さん(満郎氏:冒険家)の生き様をみて、グッとひきつけられました。もしあの時、大場さんの行き先がサハラ砂漠だったなら私は今もサハラ砂漠に行きつづけているかもしれません。僕にとって場所はどうでもよくて、とにかく無目的な毎日から抜け出したかったし、明確な目的を持ちたかったんです。

――それはよく分かります。しかし、理系の大学へ進みそのまま卒業していれば、それなりの就職はできたと思います。その選択肢は全く考えなかったのですか。

荻田 そういう道もあったでしょうが、とにかく無目的な大学生活が嫌だったんです。そういう思いが、社会が近づく中で、いよいよ「これでいいのかって」強まっていました。自分自身に対して「こんなのでいいのか」っていう違和感というか危機感みたいなものだったので、その時は「就職」がその答えという感覚はなかったですね。問題は外じゃなく内にあるという感じでしたから。

「安定」を捨てる不安はなかったのか

――大学まで入れてくれた親のこともあるでしょうし、いわば「安定の手形」みたいな大学卒業という経歴を捨てるのに不安とか躊躇はなかったのですか。

荻田 大学に入ってからずっとバイトして稼いでいましたから、いざとなれば何とかなると思っていましたので全然そういう心配はしていませんでしたね。そもそも人に相談するタイプでもないですし、辞めるときはスパッとでした。

――群れないし、自立していますよね。どうすれば、そんな人間に育つのでしょうか。

荻田 親の教育のおかげだと思います。うるさく言わないし、かといって放置でもない。でも監視はしている。そんな中で何でも自分で決めることが当たり前に染みついていった感じですね。

なぜか持ち続けていた「根拠のない自信」

――だから、なんとなくレールの上を走る様な大学生活に乗っかっちゃって、違和感があったのですかね。

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北極男を生んだのは「根拠のない自信」という荻田氏

荻田 無目的な毎日に違和感を抱く一方で「自分は何かやるんだ」、という根拠のない自信があったことは確かですね。ただその「何か」かがずっと分からなかった。見つけられなかった。そんな時に大場さんをテレビで見て、スイッチが入った。なぜ入ったのかを考えるとその時大場さんが一生懸命生きていることにすごく共鳴したんです。それが、明確な目的を探す私の心に刺さったんですね。「これだ」って。

――根拠のない自信、ですか。それはつまり内側で熱く燃えたぎるエネルギーということですかね。

荻田 そうかもしれません。ただ、最初に北極へ行ったときは、なんとなく行けば変わると漠然と思っていました。でも、帰国するとまたもと通り。当たり前ですよね。それで明確な目的として北極行きを定め、翌年も行ってまた翌年も、ということで今に至っています。

――いわゆる社会人としての時間が北極で占められている。“北極男”の異名はまさにぴったりですね。

荻田 22歳で歩き始めてもう14年。北極でいろいろな失敗も経験し、キャリアが積み上がりましたね。だから、20代のころより体力は落ちていますが、いまの方が歩けるんです。体力に任せてワーッと行っていた20代は息切れしましたが、いまはのんびり亀のようにゆっくり歩きます。それがロスの少ない体の使い方になって、非常に効率がいいんです。北極の単独無補給歩行においては、ロスのない歩き方が非常に重要になりますからね。

踏み出すことでなくなる不安

――まさに仕事と同じですね。

荻田 そう思います。何事も経験を積まないと進歩はしません。思っているだけでは何の前進もない。経験を積むことで、なにがよくて何がダメなのかが分かる。それで初めてうまいやり方にたどり着く。不安も同じで、知らないから恐怖心がわく。だから、踏み出すことは不安をなくしていくことでもあるんです。

――仕事ということでいえば、2011年ごろからはバイトとの両立はせず、冒険一本でやっていっているそうですね。つまりプロの冒険家になったということですね。

荻田 おかげさまでいろいろな方々の支援を受けて、いまは冒険だけでやっています。ただ、これは、それまで10年間自分で稼いだお金でやってきたという積み重ねがあるから許されると私は思っています。もしも10年前に僕にスポンサードしてくださいとお願いしても「なんだそれ?」となりますよね。物事には順序があると思います。自分で稼いで冒険するという10年は、いまの私にとって必要な期間だったと思っています。

プロ冒険家としての信念

――スポンサーがいるとなると、冒険における判断に影響が出たりすることはあるのですか。

荻田 「ここで無理していけば、スポンサーが喜ぶかもしれない」、ということはあるかもしれませんね。しかし、それは絶対にやってはいけないことだと思います。冒険における判断主体は絶対に本人でなければいけない。自分以外の要素を判断の材料にして生きて帰れるような甘いものではありませんからね、冒険は。五感全てを研ぎ澄まし、極限の判断をしてもやっと生きられるか、というレベルの世界ですよ。

――そう考えると、会社のために粉骨砕身頑張って仕事して、毎日長時間残業を強いられている会社員は、完全に第三者の意向に振り回されています。

荻田 そうだとしたら、そうでしょうね。でも、そうであってもその主体が自分であれば、つまり、やらされているのではなく自分の意思でやっているのであれば、それは冒険家とも変わらない誇れるものだと思います。どんなことでも自分が主体であれば、つまらないということはないと思いますし、夢中になれると思います。

会社員でも自分が主導なら毎日は充実する

――会社員の場合、そうは思っていてもできない人がたくさんいると思います。どうすればそこに近づけるでしょうか。

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会社員も北極冒険家も変わらないという真意とは

荻田 諦めてしまうことです。「もうやるしかない」と開き直るということです。私もいまだに北極入りするときは毎回「もういやだ」と思っています。北極へは最寄りの陸地から小型飛行機で行くのですが、天候の影響で中止になると素直にうれしいですからね。でも結局最後は諦めの境地でいくわけです。嫌だからって、行かなければ何も起こらない。行ってしまえばやらざる得ない。失敗しても前進はするわけですから。根拠のない自信っていうのは、結構大事だと思います。あとは全部「自分のため」と思うことでしょうね。わがままということではなくて、自分のやりたいという気持ちが主導になって動くということです。それ次第で全ては変わると思います。要するに気の持ちようで人生はいかようにでも変わるということです。

――最後に今後の目標を教えていただけますか。

荻田 まずは2015年の北極点単独無補給歩行の達成です。残念ながら過去2回は失敗していますが、これまで積み上げてきたキャリアがあるので、自信はあります。根拠はありませんけどね(笑)。装備やルートなどを十分に研究し、今度こそ達成したいと思います。それから昨年から夏に子供たちと一緒に長距離を歩く企画を実施しているのですが、これを続けていきたいですね。

インタビュー:前編 大学を中退して北極男になったワケ


◆荻田泰永(おぎたやすなが)プロフィール
北極冒険家。1977年 神奈川県愛川町生まれ。北海道鷹栖町在住。北極圏に住むイヌイットとの交流も多い。近年著しい北極海の劇的な環境の変化、温暖化の実態も見てきてお り、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)や、大学研究室との共同での環境調査活動も実施。北極の温暖化、海氷減少を科学的な理論だけでなく、体験を通して語る事の出来る数少ない日本人。2000年の大場氏との冒険行から2014年までに13度北極へ渡航。北極点無補給単独徒歩には、2012年と2014年の2度挑戦している。著書は『 北極男 』(講談社から)。

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