働き方

仕事に行きたくないと呟きながら、仕事に行くのは社畜かも

仕事に行きたくないという感情は、いつ沸き起こるかと言えば、通勤時に沸き起こるのが定説である。仕事に向かっている最中で、「仕事に行きたくない」と考えるわけだ。そして、その感情があふれ出て、ついつい手持無沙汰で検索をする。
そこには明確な答えが出ているわけではなく、ただ陳腐に「頑張ろう」とか、「辞めちゃえよ」とか、好き勝手書かれたコンテンツがあり、自分の中で情報を取捨選択し、「まあ、そんなもんか」、「まあ、頑張るか」という感じでページを閉じ、なんの有益な情報を得られぬまま、またスマートフォンでゲームをしたり、SNSに没頭したりする。それでいて、仕事に行きたくないという感情が本当に晴れたかどうか、というと、答えはNOであろう。

仕事に行きたくないという感情は本心ではない

そもそも、仕事に行きたくないと考えている時点で、人は次の行動を起こそうとは思っていない。現状に甘んじながら、なんとかもっと楽になる方法はないかな。とかぼんやりと考えているのだ。甘い汁があれば吸いたい。だけど、現状を壊す勇気もない。だから、「仕事に行きたくない」とうそぶきながらも仕事に向かう。そして、その感情を帰りの電車の中では忘れてしまい、「今日は頑張った」とか「今日の晩御飯は何だろう」とか、とりとめのないことを考えながら帰路に着くのだ。そして、翌朝、また会社に向かう最中で「仕事に行きたくない」と呟くのである。つまりは、仕事に行きたくないと呟く気持ちというのは、心の底から考えて沸き起こる気持ちではなく、ただ単にため息のように心から漏れた言葉の一つに過ぎないのである。

これを社畜と言わずして何と言おう。仕事に対する情熱も気力もなく、ただ単に毎日のルーチンに組み込まれた形で仕事をする。いや、仕事をさせられている。自分ができることを活かしているのではなく、誰かに活かされている。何の抑揚もない毎日を過ごし、それでいいと思っている。そりゃ、土日は自分が好きなことができるので生き生きしながら、この時のために生きていると実感するだろうが、平日になればまた死んだ魚の目で、現在ある状況に不満をぶつけながら、仕事に向かうのだ。これで、本当に良いのだろうか。

良くないとはわかっていながらも、仕方ない。と思う人もいるだろうし、別に心から漏れる声ぐらい好きにさせてくれればいいじゃん。と考える人もいるだろう。しかし、何か結果やアドバイスが欲しくて、その言葉を検索したのではないだろうか。それならば、提言できる唯一の言葉は「行きたくないのなら、行かなければいい」の一言である。

行きたくないなら行かなきゃいい

仕事に行くメリットを考えよう

人間なのだから、自分の行動は自分の好きにできる。もちろん、人に迷惑をかける行為を行えば厭われるし、法律から逸すれば逮捕だってされる。世の中には規律がいろいろなところにあり、それを違反することは許されない。だが、モラルやルールに則っての行動ならば、別に誰も何も文句は言わない。「仕事に行きたくない」と考えて、それを行動に移すのであれば、まず、迷惑や法律や規律を確認し、問題ないと判断できるのなら「仕事に行かない」という選択肢、行動だってとれるはずである。

仕事に行かないと決めたからと言って、無断欠勤はやってはいけないことの一つである。業務に多大なる影響がでる場合もあるし、周りの人間だって困惑する。なので、休むと決めた場合は、しっかりと連絡をしてから休むようにした方がよい。

仕事に行くメリットがお金だけの人は要注意

そもそも、仕事に行くことによって自分に対してあるメリットは一体なんだろう。もちろんお金が貰えるというのが一番のメリットになるのだが、その他に自分に対してのメリットはあるのだろうか。まずはそこから紐解いていかなければならない。自分のためになることが、賃金以外見つからないのであれば、それは少し困った問題になってくる。そもそも、仕事に行く理由がほとんどないわけだ。自己成長が感じられない仕事には、なかなか定着することができない。

仕事をするということは、自分の人生の大半の時間を捧げている。ということを今一度確認して欲しい。そこにお金以外のメリットを見出せないのであれば、他にお金を稼ぐ方法が無いか考えることだって、できるのではなかろうか。どこかのキャッチフレーズのように好きなことを仕事に、とまではいわないが、自分が成長できる仕事というのを考えることで、仕事へ向かう気持ちは変わってくるはずである。

つまり、仕事に行きたくない。と考える人は、今の仕事に満足しておらず、お金以上の何かを見出すことができていない人なのではないだろうか。それならば、今の仕事から見切りをつけて、自分が成長できる環境を探すか、今の仕事の中で自分を活かす環境を作り上げるかしかない。

仕事とは何かをしっかりと考えるのが重要

今一度問おう、仕事とはあなたにとって何か?ということを、自分を活かす場所、自分を殺す場所、自分を成長させてくれる場所、自分を停滞させてしまう場所、どれに当てはまるかをしっかりと考えてみよう。毎日行っている仕事が自分のためになっていなくて、それが原因で、仕事に行きたくないのであれば、きちんとしたフローを踏んで、自分のためになる仕事に対して足を向けるのも一つの手である。世の中は仕事に溢れている。その中で自分らしさを考えるきっかけをつかまなければいけない。

どんな仕事が世の中にあるのか知りたいなら、リクナビNEXTなどの転職サイトを使ってみるのもいいだろう。業種別や勤務地、キーワードなどでいろいろな職業が検索できるのが特徴である。検討中リストなどの機能も備えており、求人情報を比較することができる。
求職する時に大事なのは、自分は雇われに行くのではない、という気持ちである。雇ってもらうという気持ちだけで就職、転職をしてしまっては、使われるだけの仕事しかできないし、能力以上の仕事は与えられない。逆に、その会社で役に立ってやるという気持ちがあれば、自分の仕事は会社のためにも、自分のためにも期待できるものとなるだろう。気持ちの違いはとても重要である。それができないと、以前と変わらず「仕事行きたくない」と毎日うそぶく毎日が訪れてしまう。

選択肢はいくらでもある

社畜にならないためには、仕事と向き合う姿勢を変えるべき

仕事行きたくない者同士で、傷をなめ合うのは構わないが、それでは生産性のない毎日がダラダラと過ぎ去ってしまうだろう。それこそ、社畜として生きていく準備ができているのであればそれでも構わない。社畜とは、文字通り会社、または社会に飼いならされた存在である。日本という国では、美味しいご飯だってあるし、ニンジンだってたくさんぶら下がっている。それに甘んじで社会人人生を全うするのも構わない。しかし、自分が手に入れたい生活は、社畜のままでは絶対に手に入らないことを忘れてはいけない。しっかりした意図をもって、自分がしたいことをする。自分ができることを全うする。それができた人から、社会は楽になっていくシステムができあがっている。言葉は悪いが、勝てば官軍という奴である。社会との戦いに勝利してこそ、自分の好きな生活が手に入るのであれば、それに向けて突き進むことだってできるのではないだろうか。

土日を楽しむために生きることが悪いわけではない。アフターで友達と飲むことを楽しみに生きることが悪いわけではない。それを目的として生きるのであれば、会社はお金を稼ぐためだけのおまけだと思うのであれば、そこは受け入れるしかないのだから、「仕事に行きたくない」などのたまう必要はなくなる。それが、自らが選んだ道なのだから、それが嫌なら、まずは動き出す勇気と実行する努力を身に着けて、社会と戦っていってはいかがだろうか。決して勝ち目のない戦ではないのに、なぜそこに目を向けないのだろうか。
自分らしい生活は自分の手で手に入れるしかないのだから。

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