
“ひふみん”がいつまでも挑戦し続けられる理由
勝負の世界で62年10か月も現役生活を続けられた極意とは
人生100年時代。当たり前のようにそんなフレーズが飛び交っている。「なんという時代だ」、と感じる人もいれば、「より人生を謳歌できて最高だ」と心躍らせる人もいるだろう。将棋界のリビングレジェンド・加藤一二三氏は間違いなく後者のはずだ。2017年6月20日の対局を最後に現役引退した天才棋士・加藤九段。その棋士生活はなんと62年10か月にも及んだ。引退後初の著書『天才棋士加藤一二三 挑み続ける人生』(日本実業出版社)の出版記念講演では、その挑み続ける極意の一端を、独特のひふみん節全開で明かした。
天真爛漫キャラと天才の原点

チャーミングなひふみんも中身は棋界のリビングレジェンドだ
黙っていれば棋界の重鎮の貫録。だが、ひとたび口を開けば、一転、その風貌がゆるキャラのようにチャーミングにみえてくる。絶妙のテンポとリズムの独特の話術には、誰もが引き込まれる。まさに“ひふみん”という愛称がピッタリだ。その愛くるしさについ目を奪われがちだが、棋士としての経歴はまさに「天才」の称号にふさわしい。誰も異論をはさむ余地はないだろう。
14歳7か月でのプロデビューは、当時史上最年少。藤井聡太四段(14歳2か月)に破られるまで、62年間守られてきた。その後、史上最速となる18歳でプロ棋士最高峰のA級八段にノンストップで昇段。これはいまだ破られておらず、「神武以来(じんむこのかた)の天才」と讃えられる。1982年には、当時の中原誠名人を撃破し、将棋界の最高峰である名人位を獲得している。
ビジネスパーソンにあてはめれば、中学生で就職し、あっとう間に昇進。高校3年で社長に上り詰め、以降、60年弱もトップに君臨し続けたようなものだ。上に立ち続けることは、例え非凡であっても神経をすり減らす日常は避けられない。ましてや、常に結果を問われるプロの世界。日々がギリギリの状況だったことは想像に難くない。だからこそ、加藤九段と“ひふみん”の落差には、尊さのようなものを感じざる得ない。

食べ物がおいしく感じないからあえて入れ歯しないひふみん
なぜこれほど穏やかでいられるのか。加藤九段はいう。「小学1年の時にチューリップを描いていてなんて素朴で美しいと思いました。2年生の時に今度はグラジオラスを描いて、深く世を考えられるな思いました。その時に思ったのです。世の中はシンプルさと複雑さの両方から成り立っていると。いまでもそれは真理と思っています」。10歳に満たない段階で、世の真理を悟ったこの体験によって、加藤九段は泰然たる態度、そして天才としての研ぎ澄まされた感覚を身に着けたといえる。
小6の時にはこんなことがあった。大阪の奨励会でプロ棋士と指していた加藤少年。その様子を、升田幸三8段(当時)が観戦していた。升田8段は、当時、次世代を担う棋士として注目されていた人物。その人が、「この子凡ならず」と感想を述べた。加藤少年は、その言葉に単純に喜ぶだけでなく「そうか、時代を担う人が私のことを非凡とおっしゃった。そう悟りました」と解釈。プロになることへの自信を深めたという。まさに凡ならず。瞬時に状況判断するチカラは、小学生時代にすでに天才レベルにあったのだ。
花をみて世を悟り、プロ棋士の評価をしっかり受け止める。感受性が強い少年期に、しっかりと情報を受け止め、かみ砕き、吸収する。いまも変わらぬピュアで鋭い感性こそが、加藤九段が天才であるゆえんであり、いくつになっても挑戦を続けられる秘訣といえるのかもしれない。
ひふみんが大事にする2つのこと
ぶれることなく駆け抜けた63年の現役生活。ひふみんのキャラからは悩みとも無縁にみえるが、もちろん行き詰まることもあった。30歳の時、カトリックの洗礼を受けたのはそのためだ。上には上がいる――。現実を受け入れたことで、天才・加藤の人間としての幅は大きく拡がる。加藤九段が語る。「キリスト教には慈しみ深いというような理想はありますが、同時に人間はどんなことがあっても逞しく生きていく、という教えもあるんです。現実主義でもあるんですね」。なかなか勝てない現実にもがく加藤は、この教えによって新たな境地に到達。その後、約半世紀に渡り、最前線で躍動する。
会社員が定年まで仕事を全うするとすれば、少なくとも40年以上は勤務することになる。出世争い、人間関係、売り上げノルマ…職場には神経をすり減らすストレスフルなことが溢れている。ましてや“完走”の拠り所となる終身雇用制度も事実上崩壊している。人生100年時代といわれても、その先に明るい未来は見えづらい…。会社員の勤続年数を優に超える63年もの現役を終えたばかりの加藤九段は、2つのキーワードを挙げ、その極意の一端を明かす。

講演では小坂大魔王の作曲の持ち歌を披露したひふみん
「人間は柔和であり、謙遜すべきですね。柔和というのはどんな時もバランスを崩してはいけないということ。謙遜は、自分がこの世で一番偉いと思うのは大間違いということなんですね」。常に穏やか。常に低姿勢。まさに愛くるしい“ひふみん”そのものを表現したような説得力のあるメッセージ。といいいながら、「自分で自分を『天才』といっている事実はあるんですけどね」とニヤリ。山あり谷ありの人生を走り切るには愛嬌も必要ということだろう。
77歳で終えた現役生活。もう十分やり尽くしたようにみえるが、加藤九段の歩みが止まることはない。今年の“大ブレイク”に逆らうことなく、年末は多数のメディアに出演。様々なチャレンジも行う。棋士としては、棋譜を起こし、名局として、後世に残すことを今後のライフワークとすることも決めている。挑戦し続ける天才ーー。プロ棋士としての現役は終えたが、直近の健康診断では「全く問題なし」。まだまだ心身にエネルギーが充満する“ひふみん”が今後、人生100年時代の主役の一人として、新たな活躍の場を無限に広げていきそうな勢いだ。
【加藤一二三 かとう・ひふみ】
1940年福岡県生まれ。将棋棋士。九段。早稲田大学中退。仙台白百合女子大学客員教授。
2017年6月20日、77歳で引退。1954年、14歳で当時史上最年少の中学生プロ棋士に。中学生棋士の元祖。「神武以来(このかた)の天才」と呼ばれる。1958年、史上最速でプロ棋士最高峰のA級八段に昇段。1982年、名人位に就く。タイトル獲得は名人1期、棋王2期など通算8期、棋戦優勝23回。公式戦対局数は2505局で歴代1位。勝ち数は大山康晴十五世名人、羽生善治二冠(2017年9月現在)に続いて1324勝で3位、負け数は1180敗で歴代1位(残り1局は持将棋=引き分け)。敬虔なキリスト教信者(カトリック)としても知られ、1986年、ローマ法王から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章。2000年、紫綬褒章を受章。バラエティ番組にも出演し、「ひふみん」の愛称で親しまれる。2017年9月、アーティスト名大天才ひふみんとして「ひふみんアイ」で歌手デビューを果たす。