
会社に縛られない生き方を実践する正しいスタンスとは
変人・安田の境目コラム
ニュートラルになって見えてきた不惑の働き方
社員を冷たく突き放す、とか。社員ごと会社を売ってしまう、とか。そんな酷いことが出来るか!と昔は思っていました。でも今は違います。今だったら平気で「辞めたら」と言えます。今だったら平気で会社を売ってしまえます。なぜなら今の方が、ずっとニュートラルだから。
自分が面倒を見るべき、という錯覚。自分が社長をやるべき、という錯覚。全ては単なる思い込みなのです。嫌ならやめればいいし、辞めさせればいい。今は心からそう思います。
結局私は、社員を大事にしているようで、彼らを見下していたのかもしれません。自分が一生、彼らの面倒を見るのだ、などというのは単なる思い上がり。そんなことは誰にも出来ないのです。
社長とは、社長という立場で仕事をする、単なる一人の労働者に過ぎません。お金を出して、組織を作って、利潤を得る。それもまた、出資者の正当な仕事なのです。そこには善人も悪人もない。
経営者の呪縛が歪めた判断の基準
私にはずっと後ろめたさがありました。社員から搾取しているのではないか、という後ろめたさ。それが私の判断を歪めた面もあります。それは誰の為にもなりませんでした。
社長でなくなった後、私は労働に特化しました。仕組みや権利収入ではなく、現場での労働収入だけで稼ぐ。そうやって六年が過ぎました。確かに労働収入は清々しい。後ろめたさが全くない。でもそういう生活をしているうちに、呪いが解けてきたのです。私を縛っていた、経営者の呪い。
結局私は歪んでいたのです。社長でいた時も、社長をやめた後も。今ようやくニュートラルになって思うこと。それは「どっちでもいいじゃん」ということ。
私はこれからも、労働者として労働収入を稼ごうと思います。でも経営者として、権利収入も稼ごうと決めました。どちらかに決める必要などないのです。
会社に縛られない生き方。それは会社を否定することではなく、会社に依存することでもなく、適当に会社とつき合うという生き方。肩の力を抜いて、やるべき事をやって、堂々と金を稼げばいいのです。
