企業風土

報酬を全社員に公開することは有効か無謀か【瓦の目】

投稿日:2016年1月15日 / by

アメリカで、全従業員の給与額を公開する動きが進んでいるという。その狙いは、給与の不公平感を排除し、パフォーマンスの最適化を図ることにあるという。日本の場合、ヒエラルキー構造の中で、ある程度、報酬が分かっており、すりガラス状態にはあるが、それでも給与額の完全オープン化による化学反応は興味深いところではある。

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実は、瓦版でも給与をオープンにしている企業はいくつか取材している。たいていの場合、その理由は、給与に対する責任を明確に持たせるためだ。全員が同僚の給与額を知っているのだから、当然、その働きぶりをシビアに観察する。「あんな仕事しかしないであの額もらっているのか」という評価もあれば、「あんなに働いているのにたったあれだけの給与なの」という場合もあるだろう。

個々の給与&賞与を全社員で決める会社

もちろん、そうやって人を判断している以上、当の本人も仕事ぶりを“監視”されていることは自覚している。ダラダラ働くわけにはいかないし、より以上に高く評価してもらいたい、という欲が高まるだろう。その意味では、給与額のオープン化は、生産性向上、責任感の醸成の視点でみれば、メリットが大きいといえる。だが、現実にはどうだろう。

年棒自己申告制を導入しているアソブロックの団遊氏は、その理由について次のように説明している。「自分の稼ぎは自分で稼いでいこうがうちの方針。それをやるにあたって一番分かりやすいのが、年棒の宣言制度。機能させるためには全部の情報を全員が知っていること。当たり前ですが会社がこけると給料はもらえないわけですから」。無謀なようで実は極めて合理的。それがこの制度の実態といえるだろう。

この制度下では給与額に関しては「言ったもん勝ち」、ともいえそうだが、現実には低めに申告する社員が多いという。自ずと、衆人環視のシビアさへ先回りし、低評価に対する予防線を張っているのかもしれない。このテーマでいえば、プロ野球選手が頭に浮かんだ人も多いかもしれない。年棒がファンに知られており、その中で、野次を受けたり、賛辞を受ける。成績が悪ければ減俸。逆に良ければ大幅アップも。シビアだが、“年棒公開制”の理想のカタチといえるだろう。もっとも、スポーツの場合、結果がより明確なため、やりやすい側面は否定できず、一般企業との比較は、ややナンセンスかもしれない。

いえることは、現状の日本では、給与額の完全公開は、メリットよりリスクの方が大きいということだ。なにより、正社員に限定するなら、仕事の境界線があいまいで、評価をしづらいことが大きな課題だ。加えて、横並び意識強い民族性がある。明らかにスキルの差があっても、認めたがらず、ましてや同一労働で賃金格差があろうものなら、猛然とクレームをつける…。もしも、オープン化をするなら、少なくとも能力評価をしやすいジョブ型のワークスタイルがある程度浸透してからでないと、大混乱を招くだけだろう。

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