働き方

元バリバリOLが東欧で牧場経営とフリーライターを兼業する理由

投稿日:2017年5月25日 / by

舞台はポーランド! 牧場経営とフリーライターの2足のわらじで活動中!

東欧・ポーランドで100頭以上の牛と広大な自然に囲まれながら、フリーライターとして活動するユウミ ボノビチさん。前職は東京の宝石・美術品商社で働くバリバリのキャリアウーマン。そんな彼女がなぜポーランドで生活し、なぜ牧場経営と並行してライターの仕事をしているのか。彼女のポーランド在住の経緯、フリーライターを始めたきっかけについて紹介します。(powered by THE LANCER編集部)

将来は管理職? と言われていた私が仕事を辞め、ポーランドの地へ

ポーランドへ初めて来たのは6年前の事です。ありがちな話ですが、ポーランド人の旦那と恋に落ち、6年の交際を経て現在に至ります。

この地へ来る前、私は東京の某宝石・美術品商社でバリバリと働いていました。貿易部署で、毎日が英語尽くし、毎日が新しい事ばかりの職場でした。正直に申し上げて、激務でした。しかし、この会社で働いていなければ絶対にお会いできなかったアジア圏の大使や、様々な会社の社長と知り合い、重役と言われる方々と共に仕事をさせて頂き、プロジェクトはどんどん成功。とても充実した日々を送っていました。そのせいか、周りの同期からは「そんなに仕事を頑張るなんて、管理職を目指しているの?」とよく言われました。

そんな私がポーランドに移住する転機となったのは「結婚」です。

いざ! ポーランドへ移住してみたら

私達の場合、結婚後に日本に住むという選択肢はありませんでした。それは旦那が牧場と農場を経営していたからです。そのため、私が仕事を辞め、このポーランドの田舎に嫁ぎに来たのです。

6年間の交際を通して、10回以上ポーランドに滞在しましたが、やはり、「観光気分の滞在」と「移住して暮らす」のでは天と地ほどの差がありました。観光している間は、旦那以外のポーランド人と話すにしても、挨拶程度の簡単なポーランド語で済みました。

また、ほとんどの時間を旦那と供に過ごしていたので、ポーランド語が話せなくてもたいして困らなかったのです。ところが、「移住して暮らす」となると旦那にばかり頼ってはいられません。勉強をしても分からないポーランド語。田舎で語学学校にも行けず、旦那以外の誰とも満足な意思疎通の出来ない日々。日本ではとても活発で(職場では◯◯さんがいないと、静かだけどつまらないわ。と言われる程)、誰とでも友達になれる事が自慢でした。

そんな私がポーランドの土地では日に日に落ち込みがちになり、ついには「人と会い、話す」という大好きだった事に対して恐怖を感じるようになっていったのです。次第に来客があっても、「私がいても会話を邪魔するだけ」と臆病になり人を避けるようになってしまいました。

薄れていく「私の存在意義」に打ちのめされる日々

東京でのキラキラした都会生活では、やりがいのある仕事や、たまに会う気を許した友達との交流の中で「活発で明るい私」というアイデンティティーを確立していました。しかし、この地では言葉もろくに話せず、人とも距離を取るようになり、運転免許もないので、一人ではどこにも行けない毎日。ポーランドの地に来て数カ月の間に、築き上げてきたアイデンティティーはあっと言う間に崩れ去ってしまったのです。特に現地の人に「ポーランドで何をしているの? 仕事はしているの? 」と質問された時が一番辛かったです。

「牧場のお手伝いをしている。」としか言えず、自分がポーランドで一人では何もできず、自立できない事を思い知らされたからです。「こんな毎日ではダメだ……。何とか変えていかなければ! 」。仕事が見つかれば、少しはまた、前みたいに明るくなれるかも知れない。そんな希望を胸に、仕事を探した事が、転機となりました。

私を救ってくれたランサーズ

職探しを始めたものの、何も見つかりませんでした。現在ポーランドは職不足に悩まされています。一流大学を卒業しても就職口が見つからず、多くの若者が周辺のドイツやイギリスに出稼ぎに行くのです。このような社会状況の中、私がこの田舎で現地の会社に雇用されることは不可能だったのです。

途方に暮れている時に、たまたま目にしたブログが運命を変えてくれました。どなたのブログか忘れてしまいましたが、ランサーズを知ったのは、その方のお蔭です。貿易という仕事をしていた為、ライターの仕事が務まるのか正直不安ではありました。

ですが、「後悔とは、やってしまったことにするものじゃなくて、やらなかったことにするもの。だから私はチャンスがきたら必ずトライするわ」というハリウッド女優キャメロン・ディアスの名言に背中を押され、挑戦してみる事にしたのです。

それからというもの、私の毎日は嘘のように、生き生きと明るいものとなっていきました。日本にいるクライアントの方々と仕事のやり取りをさせて頂き、時に牧場を経営していると言うと驚かれ、何よりも完成した仕事に対して、評価を頂く事が出来ます。

評価を頂くごとに、私が生きている事の勲章を与えられているような気分でした。そうです。やっと、1年と半年を経て、私の居場所とアイデンティティーを見つける事が出来たのです。

ライターという仕事と、働くというステータス

やっと「フリーランスでライターをしています。」と言えるようになり、ポーランドの地で打ち砕かれた自信も徐々に戻ってきました。ポーランド人の方に驚かれるのは、ライターという仕事そのものだけではありません。

その報酬額です。先月は時間が取れず、5万円程の報酬額を手にしましたが、ポーランド人にとって5万円は大金です。その金額を毎日の数時間で、それも在宅ワークで稼ぎ出す。彼らにはその事が驚きなのです。

ポーランドの都市では平均月収が10万円程、田舎に至っては6万円以下です。「自分の手でお金を稼げるようになった。」東京にいる時には当たり前の事でした。しかし、今はそれが嬉しくてしょうがないのです。

生まれ変わった私と、現在の生活の様子

ランサーズには翻訳、代行業務、ライター、デザインなど、様々な仕事が用意されていますが、私はライターの仕事を中心に頂いております。牛のお世話とライターの仕事の2足の草鞋で、充実した毎日がめまぐるしく過ぎていきます。
疲れた時には、見渡す限り広がる一面の緑を眺め、愛犬と一緒に好きなように散歩をし、美味しい空気に囲まれながらリラックスをします。ポーランドでの生活で嬉しいことは、物価の安さです。平均月収が低い為、例えばトマトは1キロ250円にもなりません。

日本では高くて買うのに躊躇していた果物や、ケーキやお菓子を気軽に、それも沢山買える事がポーランドに来て唯一嬉しいポイントです。日本とポーランドの共通点は1つも思い浮かばず、大変な事ばかりです。

しかし、今は違いを発見すると「これは、記事に活かせるかも知れない! 」と、文化の違いや、大変さを楽しむようにもなりました。これも全て、ランサーズで「私」を発見出来たからです。

▽フリーランスの情報発信メディア「THE LANCER」より転載

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