インタビュー

経験ゼロから日本一の似顔絵師→アニメ監督への転身はどうやって実現したのか

投稿日:2017年10月19日 / by

国際映画祭で数々の賞に輝く気鋭の映像作家が歩んだ数奇な道程

アニメはもちろん、映像制作の経験一切なし。手探りのスタートから、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で優秀アニメ賞を受賞するまでに飛躍。さらにはイラスト、アートディレクションの分野でも、YORIYASU氏は自らのアイデアを次々に実現し、実績を上げ続けています。アイデアを形にし、人脈を広げ、また新たなジャンルを開拓する――。YORIYASU氏のバイタリティあふれる仕事術に迫ります。(powered by THE LANCER編集部)

日本一の似顔絵師からアニメ監督に転身

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で優秀アニメ賞受賞、FFLA(ロサンゼルスジャパン国際映画祭)でスペシャルアワード受賞。映像畑の人物かと思いきや、全国似顔絵登竜門「S-1大賞2011」でグランプリ受賞の実績。さらには山形県特命観光つや姫大使という肩書から、転職学校の講師経験まで--。YORIYASU氏のキャリアは華々しく、かつパッチワークのように複雑だ。バラエティ豊かな仕事を引き寄せる原動力は「目の前で名刺を捨てられても、次の機会にまた渡しにいきました」という旺盛なバイタリティだ。

映像作家として数々の賞を受賞し、イラスト、アートディレクションの分野でもご活躍されているYORIYASU氏へのインタビューをお届けします。

内装の会社で、似顔絵とアニメを作った男

――25才で上京したきっかけを教えてください。

それまで大阪で電気設備の会社に勤務していました。しかし、子どもの頃からずっとあこがれていたアートの仕事に就こうと一念発起したんです。東京で就職したのはCGパースや内装を手がける会社。目指していたアートに関わる業種とはちょっと違いました。未経験者で何も分からないまま企画部に配属され、まったく売り上げを立てられない日々が半年以上続きました。

ある時、しびれを切らした会社側から「君は何ができるんだ?」と問い詰められ、とっさに「似顔絵なら描けます」と答えてしまったんです。そこから結婚式場に新郎新婦の似顔絵ウェルカムボードを飾るというアイデアを思いつき、各地の式場に売り込みをかけました。当時(90年代後半)、二次会で似顔絵のウェルカムボードを置くことはありましたが、披露宴会場ではありえないこと。私がおそらく日本で披露宴の似顔絵ウェルカムボードを定着させたと自負しています。

数えきれないほど営業をかけ、断られることの繰り返しでしたが、埼玉の結婚式場が最初に私のアイデアを評価してくださいました。その後、披露宴の似顔絵ウェルカムボードは年商1,000万円を売り上げるビジネスに成長したんです。

――アートの世界で活躍する夢に一歩近づいたんですね。

はい。次の転機はアニメーションの制作でした。当時の職場は木場にあったのですが、ある日、夢の中に木場にひっかけた「KIBABOT(キバボット)」というロボットが登場したんです。さっそく社内会議で「KIBABOT」を形にしたいと提案しました。

最初は一笑に付されましたが、本来はCGパースを作る会社ですから、CGのロボット(KIBABOT)と実写の私を合成した漫才というアニメ作品に仕上げてみせたんです。短編アニメ『KIBABOT』はTBSの番組で紹介され、同局の主催する映像作家育成イベント『TBS DigiCon6』で奨励賞をいただきました。それまで絵画は好きでしたが、映像作品は未経験でした。手探りで作った『KIBABOT』が評価されたことで、映像作家としてやっていきたいという新たな夢ができたんです。

肩書にとらわれないフラットな姿勢で仕事をつかむ

――『KIBABOT」を契機に『嫌われ者のラス』など次々にアニメ作品を制作、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで賞に輝いていますね。

とても懐の広い会社だったので、CSR(企業の社会的責任)を果たしているならば、畑違いであるアニメ制作も認めてくれました。映画祭のレセプションパーティで講談社の方と意気投合、そのご縁で雑誌『ViVi』などでイラストを描かせていただくなど、映画を通じて仕事の幅も広がっていきました。

YORIYASU氏、自ら描いた絵コンテの一部。監督、脚本、キャラクターデザイン、そして資金集めまで。映像作家としての仕事は多岐にわたる。

――著名人も集まり、緊張しがちなレセプションパーティの場で新しい仕事を取ってこられるのはすごいですね。初対面の相手を引きつけるコツはあるのでしょうか?

その人の肩書にとらわれず、フラットに接することだと思います。相手によって出方を変えたりせず、そのままの自分をぶつけるからこそ信用してもらえるのではないでしょうか。

初対面の相手にポートフォリオだけを熱心に見せても仕方ないですよね。まず自分を理解してもらい、「この人と仲良くなりたい」と思ってもらうことで、人の輪が広がっていったと考えています。

最初の提案をゼロとカウントすることで、仕事の質は上がる

洋画家だった父・岡村幸右ェ門氏の影響で、幼い頃から絵画に親しんでいた。右上の絵は岡村幸右ェ門氏の遺作。

――今年からはフリーランスで活動なさっています。YORIYASUさんの考える、フリーランサーとしての心得を教えてください。

クイックレスポンスと、約束を守ることが鉄則です。会社という看板のないフリーランスは信頼が土台ですから。

初めてのクライアントで、相手が漠然としたイメージしか持っていない場合、まず相手の要望通りに1回作ってみせることを優先します。それを叩き台にして、より具体的な意見を引き出していくんです。

――クライアントのイメージと合わず、大きな修正が入ってしまうことはありませんか?

もちろんあります。最初の叩き台作りを「1の仕事」と考えると、大幅な直しが入った時にげんなりしてしまいますよね。そうではなく一つ目は「ゼロの仕事」だと割り切ってしまう。リテイクした作品から「1の仕事」と数えはじめることで、余裕を持ってクライアントと向き合うことができるんです。

――これからフリーランサーを目指す方にメッセージをお願いします。

トラックを運転したり、高所作業をしたり、コーポレートアイデンティティという企業の顔を決める大切な仕事を任されて大いに緊張したり―。これまで勤めてきた会社で様々な経験をしてきたからこそ、映像作家としての今の自分があると思っています。異業種だったからと気後れせず、フリーランサーとしてぜひその経験を生かして欲しいですね。

▽フリーランスの情報発信メディア「THE LANCER」より転載(おわり)


【YORIYASU】
1973年奈良県生まれ。映像集団「RE:Map」を率いる。原作・監督を務めた『嫌われ者のラス』は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭優秀アニメ賞受賞、『OROKA』では山形国際映画祭アニメ・CG部門最優秀賞受賞。初の中編である『Paper Cranes Story』はモンテネグロ国際TVフェスティバルにノミネート。愛・地球博公式ガイドブックのイラストマップなどイラストの仕事も数多く手がける他、山形県特命観光つや姫大使、内閣府認証公認似顔絵師としての顔も持つ。

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