インタビュー

海上保安官からママフリーランス転身で分かったこと

投稿日:2017年1月26日 / by

なぜ公務員の安定を捨ててフリーランスへ転身したのか

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清水希枝さんは、元海上保安庁の職員。その任務は、巡視船で海の安全と平和を守ること。柔道有段者で、ヘリから降下し、人命救助も行なっていた。現在は、二児の母であり自宅を拠点にするフリーライター。相反するほど対極のキャリアチェンジの過程には、育児と仕事の両立という壮絶な葛藤があった…。(powered by THE LANCER編集部)

待遇、給与、やりがい安定の公務員時代

わたしが就職したのは、海の警察でもあり消防でもある海上保安庁でした。国家公務員として、充分すぎるお給料をいただきながら巡視船に乗り、海のパトロールをする日々。船内の限られた調理設備と前もって積み込んだ食材で船のクルーの食事を作り提供する“船舶調理士”の業務をこなしながら、時にはヘリコプターから降下して人命救助といったレスキューまで行なう日常は、充実し満ち足りていました。

配属されてわずか1年半で全く別の地域へ転勤になったりもしましたが、一期一会で転勤も楽しいかなぁと当時は思っていました。…妊娠し、結婚するまでは。

人生の転換期、暗雲が垂れ込み始める

おめでた婚ということで叱責されながらも、「公務員」ということでクビなることはありませんでした。無事に産前産後に休暇をいただき、その後も大変ありがたいことに1年間の育児休業を取得し、それから職場復帰しました。

新婚生活は思い描いていたものとは全く違って、可愛い我が子を保育園に預け、ただひたすらに仕事をする日々。共働きなので主人ともゆっくり話をする間もなく、迎えにいってからは家のことでバタバタし、家族の会話は皆無。娘の成長をゆっくり楽しむヒマもないまま3か月が過ぎた頃、主人の転勤が遠く離れた土地へと決まりました。

主人が転勤してしまうことによって、今後更に家事育児の負担が増えることが目に見えていたので、毎日ブルーでした。そんな頃、仕事自体は楽しんでいたものの、娘が病気になることが多く、昼過ぎには職場に「迎えにきてください」という電話。おかげで有給休暇は職場復帰後2か月で残日数がゼロとなってしまいました。欠勤扱いになったわたしのお給料は保育料を賄えるかどうか…というところまで減り、仕事をする意義を見失いかけ始めていました。

「娘」と「仕事」を、天秤にかけて泣いた一日

ある日のことです。どうしても休めない日に、娘が熱を出しました。仕事と子供の優先順位で迷った挙句、私が選んだのは仕事。娘に座薬を打ち、保育園に預けたのです。優先すべきは家族なのに、仕事へ行かなくてはならないという一心で、高熱で苦しむ我が子を保育園に預けるという残酷な選択をした自分。

案の定、昼過ぎに高熱でぐったりした娘を迎えに仕事を早退しました。その足で病院へ連れて行き、点滴をうって眠る真っ赤な顔をした娘を前に、年甲斐もなくわたしは一人泣きました。

「私はなにを、やっているんだろう…。」母親失格ですよね。座薬を打ち無理矢理に保育園へ預けるなんて、虐待と言われてもおかしくありません。当時は、仕事と育児の両立のため自分なりに必死にもがいていたんです。でもその日、決心がつきました。「家庭のために、今の仕事を諦めよう」と。

「働くこと」を諦めきれないなら、自宅でチャレンジ!

気付けば、産後復帰してから3か月でわたし自身は6キロ痩せていました。育児と仕事の両立のために、身も心もすり減らしていたんです。そんな折、主人の転勤が決まり、専業主婦としてついて行くことに。初めて育児と家事だけに専念する日々が訪れ、のんびりとした毎日を過ごしていました。でも自分の中にくすぶっていた想い――「仕事がしたい」。

自分の気持ちに気がついたその日から、家庭を大事にしながらも働く手段を考え始めました。とはいっても、何の資格もない私がゼロからできる仕事はあるんだろうか。そんな葛藤を抱えながら、昔から文章を書くことが好きだったことを思い出しました。漠然と、ライターの仕事をしてみたいと思うようになったのです。

でも、取材で外にばかり出るわけにもいかないので、自宅PCのインターネットを介したリサーチで完結するようなコンテンツの作成が出来たらいいな、と。執筆も納品もPCで出来れば、育児を目一杯楽しみながら、子供の寝た隙に仕事が出来るじゃないか!ということに気付いたのです。

思いついたら即行動、チャンスは逃すな、もう来ない、そう思ってネット環境を駆使して様々なサイトに売り込みをかけました。サイトの運営会社一社ごとに問い合わせフォームからコンタクトを取り、メールや電話で営業活動をしました。98パーセントの会社がNOという中、2パーセントの会社が「記事を買ってもいいですよ」と回答してくださったので、ライターとしてデビュー出来ることになりました。

徐々に自信と実力を付けて、ランサーズデビュー!

クライアント様から、たくさんの指導を受けました。どう書いたら気持ちをくみ取ってもらえるか、どう書けば興味を惹けるか、どう書けば検索上位に食い込ませられるか…。文章で的確に人の気持ちに訴えかけるには、どうしたら良いかということをひとつひとつ勉強しました。

そうやって少しずつ、ライターとしてのスキルを習得している自分に実感が湧いてきました。もっとたくさんの仕事に挑戦したい。そう思った時に、一社ごとに営業活動をすることが課題だと気が付きました。私が選んだのは、巷で噂のクラウドソーシングなるもの。インターネットサイト上で仕事の受発注が出来、完結する…わたしのような仕事の仕方を望む人なら、夢のようなシステムです。クラウドソーシング大手のランサーズに登録をし、依頼を勝ち取り…継続して案件を依頼していだけたときの喜びは、言葉にならないほどでした。

「この仕事に挑戦して良かった。」心からそう思えました。ライターとしてデビューし、3年半が経過した春のこと。受注数と報酬額が安定し、独り立ちの決意ができたことから、ついに個人事業主として開業しました。自分自身が代表となり、ロゴも作成してもらって、ママさんフリーランサーとして名実共に社会にデビューしたんです。

「欲深い女」と言われたけれど…

フリーランスとして活動する今、過去の自分を振り返って思い出すことがあります。海上保安庁時代に育児休暇が明けて職場復帰を果たしたときのことです。職場で良くしてくれていた女性の先輩から「いつ辞めるの?結婚して、子供もいて、仕事まで望むの?欲深い女ね」と、手の平を返したような冷たい内容を電話で言われたことがありました。仕事と育児の両立を望む…ただそれだけのことを「欲深い」と言った彼女の言葉は、色々な意味でわたしの心に残りました。

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確かに、現代社会でその2つを望むのは並大抵な努力では収まらないと思います。運も、周りの環境も必要です。実際にわたしも、経験してみてそう思いました。でも、「欲」って原動力だと思うんです。叶えたい欲があるから、頑張れる。

「なにも諦めない生き方」もある

わたしは守りたい家族のために最初の職場は諦めたけれど、自宅で自分の能力ひとつで社会に通用するものを作り上げ、それを武器として今また仕事が出来ています。正直、ラクな道ではありませんでした。わたしは特別な人間なんかじゃありません。母親失格の選択をし、一度は仕事を諦めた、普通の…いや普通よりも全然出来ていないダメな大人かもしれません。そんな自分を乗り越えて、今があるんです。まわり道をしましたし、転んだこともありました。それでも今この仕事をしながら一番大切な家族の側で笑っていられる毎日が、なによりも幸せです。

今に悩んでいる人、現状を嘆いている人がいたら、こんな生き方もあるんだってことを知ってもらいたいと思います。女として生きていく以上、必ずいつか考えなければならない子育てと仕事について、新たな選択肢のひとつになるのではないかなぁと思います。「なにも諦めない生き方」が、ここにはあります。

▽フリーランスの情報発信メディア「THE LANCER」より転載


<プロフィール>
元海上保安庁職員。海のコックさんをしながら人命救助業務に従事していた変わり者。「人の役に立ちたい!」という気持ちは主婦になった今もブレず、フリーライターとして多方面に記事を執筆中。2児の母として“母親業”を最優先に、仕事人としての自分を諦めることなく、忙しくも楽しい毎日を送っています。

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