インタビュー

伝統産業に新しい風を吹かせるために

投稿日:2015年10月7日 / by

連載 第1回 株式会社能作 能作克治氏

能作看板
こんにちは、中央大学法学部2年の山口佳祐といいます。

私は「人の価値とは何か」「どんな人に魅力があるのか」という疑問や、「自分の将来はどうなるのか」といった悩みを日頃から持っていました。そして、その答えを見つけるべく今年の夏に「地方で活躍する方々に会う日本一周の旅」を計画し実行、日本各地でお会いした方々から聞いた話を多くの方に伝えようと思っています。

今回取材させていただいたのは、株式会社能作の能作克治さん。芸大出身から新聞記者を経て、職人への道を歩み出したという、多様な経緯の持ち主です。なぜ、能作さんは今の職業にたどり着いたのでしょうか。そのことについて伺ってきました。


本日は宜しくお願いします。では、さっそくですが、経歴について質問させてください。なぜ、芸術大学から新聞記者、はたまた職人という世界へ進まれたのでしょうか?

能作
そうだよね、おもろいなぁと思うでしょ?(笑)まず、なぜ芸術の道に進んだかというと子どもの頃からカラフルな糸やボタンで遊ぶのが好きだったからだと思うんだよね。

小さい頃の自分にヒントがある、と?

能作
あると思う。自分の外側に答えを求めがちだけどね、自分の中にあるんじゃないかな、と僕は思うよ。僕の場合は小さい頃にそれに興味を持ったから芸術大の道へ進んでコマーシャルフォトっていう分野を学んだ。

そしてその後、新聞記者に――――

能作
そうなんだけど、僕がやりたいと思っていたコマーシャルフォトではなくて報道記者にしかなれなかった。さらに、当時のその新聞社には定年にならないと地元に戻れないということもあって。物作りも好きだったから、色んなタイミングが重なった27歳の時に能作へ来たんだよね。

27歳で一念発起して職人の世界へ。始めた当初はどうだったんでしょうか?

能作
最初はカルチャーショックでね、とても大変だった。でも、石の上にも三年とはよくいったもので、鋳物の面白さが徐々に分かってきたときは楽しかったなぁ。当たり前だけど、作るのが上手くなるとすぐに結果が目に見えるからね、この職業は。結果が目に見えるっていうのは大事なことだから。

何か目標はあったんですか

能作
高岡という職人の街で一番になろうとずっと思っていた。10年経った時に周りから「能作は綺麗な鋳物を作る」と言われだした。それまでは株式会社能作は経営的に厳しかったんだけど、若干右肩上がりになっていった。

何が変わったんでしょう

能作
技術力が向上しただけじゃないね。その頃から、中国の台頭もあって物があふれかえる時代がくると思ったからうちは多品種少量生産へと移行していった。
あと、問屋に商品をおろすだけじゃなくて自社製品を作った。だって自分が作ったものに本当に自信があったら、他の人の評価をあおぎたくなるでしょう?品質も上がったという自負があったから。そして、商品のヒットもあって、今があるかな。

聞く、ということ。

上手くなる過程で意識したことはあったんですか

能作
「聞く」ということかな。僕は元々職人ではなかったから、分からないことは周りの人に聞くしかなかった。普通は、職人さん達は同じ地域の人には教えない。でも、僕は福井県出身。僕のように県外から来た人のことを富山県では「旅の人」というんだ、「おまえ旅の人だろ、教えてやるよ」と。何でも教えてくれるわけ。同業者には言わないことを旅の人にはわきが甘くて言ってしまうの。だから、聞いたことを自分で実践して確かめて、自分のものにしていった。

なぜ、聞くことが大事なんでしょう

能作
以前、ベルを作っていたことがあったんだけど、これが全く売れなかった。すると、お店の販売員さんから「能作さん、これ風鈴にしたらいいんじゃないですか」と。その販売員が言うには音も良いし、スタイリッシュだから、と。そこで、風鈴を作ってみると、あれよあれよと売れたんだよね。
人の話をいかに聞けるかがその人の性格を作るんだろうなぁ。自分の話ばかりする人、あれは損だわ。たくさんの人のそれぞれの良いところを吸収して進んでいった方が良いじゃない?ぼくはこういう姿勢で今まで生きてきたから。

素晴らしい鋳物

地元を誇れる子供達を

経営者という立場になって、改革したことは何だったんでしょうか

能作
この業界全体に言えることだけど、伝統産業は作ってるものも古くて、流通も伝統だった。つまり、伝統という言葉があるだけであまり進化していなかったんだよね。だから、新しい販路を拡大していった。高岡を、日本の伝統産業を引っ張っていくという強い気持ちがあるからね。

日本の伝統産業を能作が引っ張っていく――――

能作
そう。高岡市全体をさらに言えば富山を日本を盛り上げていく、という気持ちでやってる。民間でも、いや、民間がこういう思いを持ってやらないと地域や日本や世の中は発展しないと思うから。そこは意識してやってる。だから、子供たちの工場見学(無償)もやってるし障害者スポーツの支援もやってるのよ。
そして、来年会社を移転するんだけど、産業観光に特化しようとおもっていて、例えばうちの食器を使ったレストランとかあと工房とかも併設する予定なんですよ。
でも、実際のところ産業観光に特化してお金が儲かるかっていったら儲かんないのよ。

では、なぜするんでしょう

能作
そう思うよね。僕は、地方創生とは子供たちを変えていくことだと思ってる。今、年間2000人子供たちが工場に見学に来ていて。その子達に伝統を見せるの。子供の時に見た火とか炎というのは忘れないもんだからね。そして、子供達に伝えたいのよ。地域の伝統産業というのは素晴らしいだろう、と。もっと地域に誇りを持ちなさいよ、と。高岡にはこんなにいいものがあるから高岡をもっと愛するべきですよ、とね。

高岡をはじめとした自分の”地元”を誇れない人が多いということですか。

能作
子供たちが東京にでていって「どこの出身?」って聞かれたときに言えない子って、今いっぱいいるのよ。でも、これは大人の責任だよね。誇りにできる地域にできてないってことだからね。地方の子供達が自分の故郷を誇れるようにしていくことが、地方創生だよ。
*第二回に続く

【お話を聞いて】伝統工芸に身を移してから、とても苦労された能作克治さんですが、自分の作った物に自信を持ち、人からいろいろな話を聞きながら技術を積み重ねていったのが、手に取るように伝わりました。

能作克治さん後編は、『若者たちへ』がテーマ。
「今の若者はダムが浅い」と語る能作さん。その真意は一体どのようなことなのでしょうか。数々の寄り道をしてきた能作さんだからこそ語れる「仕事との向き合い方」について紹介いたします。インタビューの中で能作さんは、どんな言葉を私たちに授けてくれたんでしょうか?挑戦をしたからこそ発せられる金言に注目です。


能作氏
<プロフィール> 能作克治
1958年福井県出身

株式会社能作 代表取締役
芸術大学から新聞記者を経て現在の職へ。

株式会社能作
400年続く伝統工芸である高岡銅器で有名な富山県高岡市に本社を構え、銅や真鍮、錫製品を加工して製作・販売をしている。元々は問屋を相手に「技術」を売っていたが、現在は自社製品も開発している。国内外で”能作ブランド”は注目されており販路を拡大し続け、衰退気味の伝統産業に新たな風を吹かせている。


山口氏
[著者情報]

氏名: 山口佳祐

所属: 中央大学法学部

「仕事とは何か?」という素朴な疑問のもと「地方で活躍する方々に会う」日本一周の旅を今年の夏に行う。人に影響を与えることを人生の目的とし、将来何をするか模索中の大学生。来年2月から3ヶ月間は世界一周の旅へ。 長崎日大高校~中央大学法学部2年
Twitter: @Naganichi54

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