江戸時代に三井越後屋が築いた勤怠管理の方法

三井越後屋はどのように勤怠管理を行ったか

前章では、なぜ三井越後屋において、勤怠管理が必要であったかについて触れた。ここでは、三井越後屋が具体的にどのようにして勤怠管理を行ったかについてみていこう。

1点留意して欲しいのは、三井越後屋の中でも「京本店」1店舗の勤怠管理に絞って紹介するということ。これには理由があり、三井越後屋は、江戸・京都・大坂の3都市に店舗を設けている、いわゆる巨大店舗だった。店舗によって果たす役割が異なることもあり、つまり店舗経営自体が均一になされていたわけではなかった。

現代でも、同一企業のなかで本社と店舗に分かれていたりするが、こちらでも同一の勤怠管理は行われていない場合が多いだろう。役割が違えば、必然的に勤怠管理の方法についても違ってくるのだ。

このことから、ここでは「京本店」の勤怠管理について紹介する。京本店は、対顧客の営業店舗ではなく、仕入れ店であった。

個々の評価基準は何だったのか

現代において、昇進や昇給のための評価基準とは何だろう。もちろん会社によって異なるが、例えば、売上、技術、リーダーシップなどが挙げられるだろうか。

三井越後屋の場合、例えば「店表」の評価基準は、欠勤時間と売上高だった。そして前述したとおり、三井越後屋の京本店は仕入れ店だったため営業業務は無く、同店舗での評価基準は欠勤時間に依っていたと考えられる。

当時から、ある一定階級までは年功序列での昇進制度が採られていたことを思うと、確かに人事評価を欠勤時間で行ったということに納得できる。あまりに欠勤が多いという人以外は、残り全員横一列で評価されることになるのだろう。

勤怠管理を可視化する帳簿があった

京本店は、欠勤時間を評価基準として人事評価を行っていた。そこで必要となったのが、欠勤時間を管理するための手段だ。だれが、いつ、どれくらい働いているのか、把握しやすいようにするためこれを可視化することにしたのだ。

そして完成したのが、「改勤帳」という勤怠管理を行うための帳簿である。この改勤帳をもとに、勤怠管理にとどまらず、褒賞についても決定されていたようだ。

しかし、この「改勤帳」について紹介する前に、まずは「昼夜勤仕録」を取り上げる。これは、北三井家三代であった三井高房が、1721年に京本店あてで出したもの。欠勤時間を可視化する方法について定められており、「改勤帳」はこの「昼夜勤仕録」を参考にして完成したものである。

「昼夜勤仕録」では、勤怠管理について多くの項目が定められている。内容について、その中からいくつか紹介する。

皆勤の基準とは?

三井越後屋の勤怠管理は、不定時法に則って行われていた。不定時法とは、日の入り・日の出に合わせて時刻が定められるもの。日の出から日の入りまでを昼とし、日の入りから日の出までを夜としていた。

つまり、季節によって日照時間の長さが変われば、昼と夜それぞれの長さも変動するため、それに合わせて皆勤時間を設定しなければいけない。例えば、昼の短い9月から2月までは、この時間からこの時間までというように決められていた。

・休んだ労働者には「朱星」が付けられ、病欠の場合は「黒星」が帳簿に記録された。

・公休、店舗から命じられた休み、喪中などは、「星」とはならない。17世紀から、すでに店舗が定めた「休日」が存在していたのである。

・労働者が、現代で言うところの残業をした場合には、「朱星」が預かり扱いとなった。

・ある期間分を記録したら、それを三井家に送り、三井家ではそれをもとに褒賞について検討した。1ヵ月のうち、「朱星」が8つほどまでであれば皆勤扱いとなったようだ。

「昼夜勤仕録」には、これらのようなことが書かれていた。現代にも史料が残されており、当時の巨大店舗における奉公人の働き方について、詳細に知ることができる。このような内容を現代と比較してみると、とても面白い。

例えば「労働者が、現代で言うところの残業をした場合には、「朱星」が預かり扱いとなった」という部分だが、これはうらやましいと感じる人も多いのではないだろうか。現代において、このような企業も無くはないだろうが、多くの場合はどれだけ残業をしたところで、それを企業への貸しにすることはできない。

それは、残業代として対価をもらっていることもあるため、必然の流れなのだが、もしかすると17世紀において、残業代という概念がなかったためにこれが貸しとして扱われたのだろうか。

「昼夜勤仕録」から派生した帳簿について

「昼夜勤仕録」を参考に作られた帳簿はいくつかあり、その中に「厚勤録」というものがある。この「厚勤録」とは、三井越後屋における江戸、大阪の店舗で利用されていたものだ。江戸、大阪の店舗は、京本店とは違い対顧客の営業業務を行っていた店舗である。

つまり、三井越後屋には、京本店が利用していた「改勤帳」と、江戸、大阪の店舗が利用していた「厚勤録」というその内容の異なった勤怠管理帳簿が存在したということだ。

次章では、京本店が利用していた「改勤帳」を紹介しながら、三井越後屋京本店の勤怠管理について具体的にみていくことにする。


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