
「働いてお金を稼ぐ」という常識が終わるかも
<変人・安田の境目コラム>
労働時間の対価としてお金を払う/もらう時代ではなく
給料を払って人を雇う。それは即ちその人の時間を買っているということです。雇われる側から見たら時間を売っているということ。
これまでの常識では、ライバルは同業者でした。出版社のライバルは出版社。でも今やライバルはスマホです。現代人には本を読む時間がないのです。
同業や競合という括りに、大きな意味はなくなりました。今やどこからでもライバルが現れてきます。たとえば採用のライバルは誰でしょうか。同業他社?業界を越えた他社?もはやそんなレベルではありません。本を読まなくなったように、もはや就職しなくなるかもしれません。いや、もしかしたら、働くことそのものがなくなるかもしれない。
たとえばプロスポーツ。たとえばコンサート。たとえば映画や遊園地。これらが採用のライバルになってしまう。ポストコロナはそういう時代なのです。
スポーツ観戦にお金を払ってもらう。それは即ちスポーツ観戦に、時間を使ってもらうということです。お金を払って、時間も使って、ショーや娯楽を楽しんでもらう。
仕事の場合はこうです。雇われる人はお金をもらい、その代わりに時間を提供し、言われた通りの作業をこなす。払うか、もらうか。この差はとても大きい。というか越えられない壁がある。というのがこれまでの常識。
その常識が変わってしまう。
人の「時間」をどれだけ獲れるか、集められるか
たとえばyoutubeで映画や娯楽を無料配信する。見る人はお金を払わない。その代わりに時間を使う。配信した人は広告で稼ぐ。ここでは映画を観ることが、仕事になっているのです。いや違うだろ!仕事をしたのは配信した人だ。そう感じる人は感覚が古いです。
自分の時間はお金になる。人はそれを自覚するようになるでしょう。なぜなら高値で買う人が現れるから。多くの時間を集めればお金はついてくる。それが常識になったとき、採用のライバルは誰になるのでしょう。
