
年齢で衰えるものといつまでも衰えないもの
<変人・安田の境目コラム>
筋力が衰えるのか、あるいは「バランスをとる」脳みそが衰えるのか
階段を軽やかに降りていく小学生。それを見て私は実感いたしました。衰えたのは筋力ではなく脳みそだと。(もちろん筋力も衰えているのですが)。
早く降りる。美しく降りる。バランスよく降りる。その根本は平衡感覚です。では平衡感覚とは何でしょう。重心が右に寄りすぎてる。前後のバランスが崩れている。それを瞬時に把握して修正する機能。言うのは簡単ですが、実行するのは容易ではありません。
ほんの少しのバランスをどこで調整するのか。頭の位置を変えるのか。それとも背骨を伸ばすのか。重心をコントロールする方法はそれこそ無数にあります。
その選択肢の中からどれを選ぶのか。もちろん小学生は、こんな面倒なことを考えていません。だけど軽やかに階段を降りていく。
一方、おじさんである私は、ちゃんと考えないと階段を降りられない。登るのも大変ですが降りるのはもっと大変。絶妙なバランス感覚が要求されるからです。おっとバランスが崩れたぞ。でも大丈夫。私はまだまだ若い。ちょっと左に、ちょっと前に、ほらちゃんとバランスが保てた。
じつはこれが衰えの始まりなのです。意識してバランスを取らなくてはならない。つまり意識しないと脳みそが機能しない。それは私の脳みそが衰えているから。
バランスをとる機能は衰える(身体機能に限らず)。でも衰えないのは…
何かにつまずいてこけた時、とっさに手が出る。これが若い証拠。歳をとるとバタンと倒れる。手をつく前に顔や身体が地面にぶつかる。骨折して寝たきりになる典型的なパターン。
私はずっと勘違いしていました。体力の衰えを脳みそでカバーする。それが年寄りの正しい生き方だと。でも間違いだったみたいです。脳みその衰えを筋力でカバーする。それが正しい対処法のようです。
たぶん脳みそにはいろんな機能があって、バランスを保つのはその機能のひとつ。ここが衰えていくのです。
とはいえ衰えない機能もあります。それは赤ちゃんのとき最初に動き出す機能。歳をとったとき最後まで動いてくれる機能。人間が人間であることの証。それが好奇心なのです。
