
「理想的な社会」で自分はどんな役割を果たせるか
<変人・安田の境目コラム>
まず、「理想的な社会」とはどんな社会かと考えてみる
人の数だけ役割がある。それが理想の社会だと、私は言い続けています。でも言うは易し。行うは難しなのです。
個々人が好きなことをやって、社会の調和は保てるのか。誰もやりたがらない仕事はどうするのか。生産性は下がるに違いない。一体誰が責任を取るのだ。問題は山積みです。
でも今の社会だって、問題は山積みじゃないですか。重要なのは問題をなくすことではありません。どの問題に取り組むのか。それをちゃんと考えること。目を逸らさず、先送りせず、人任せにもせず、しっかり考える。
人類にとって最も効率の良い社会。それが理想の社会でしょうか。
与えられた役割をこなしていれば、全体としてきちんと機能する社会。それが理想の社会でしょうか。
もちろんYESと答える人もいるでしょう。何しろこれは正解のない問いなのです。一人ひとりが考えればいい。私にとっての理想の社会は何なのかと。
豊かな社会 = 誰もが同じ生活をする社会、ではない
私も考えました。理想の社会とは何なのか。
まず衣食住と医療、そして学ぶ機会が、すべての人に約束された社会。これは多くの人が望む社会ではないでしょうか。問題はその次です。最低限の生活が約束された上で、出来るだけ豊かな社会であること。ここで意見が分かれるのです。
それは物質的に豊かな社会なのか。それとも精神的に豊かな社会なのか。やった分だけリターンがある社会なのか。それとも格差のない社会なのか。
格差是正に重きを置く人は多いです。でも私はそうではありません。そもそも人は同じではないから。みんなが同じ生活をしても、みんなが幸せだとは思えないから。
私が考えた豊かな社会。それが「人の数だけ役割がある社会」です。生きていくのに困らないなら、あとはそれぞれ好きなことをやればいい。
だったら何もやりたくない。そう考える人もいるでしょう。でもそれでいいんです。なぜなら、それは「何もやらない」という役割だから。
