
余計なことは、必ずしも無駄なことではないと思え
<変人・安田の境目コラム>
振り返れば、人生は「必須でないもの」「余計なもの」ばかりであふれてる
これまで人生でやってきたこと。ぜんぶ思い出してみてください。
これまで人生で買ったもの。ぜんぶ目の前に並べてみてください。
もちろん無理だと分かっています。そんなの覚えているわけがない。だけどもしそれが可能だとしたら、どういう感想を持つでしょう。今までやってきたことを全て、映像として見せられる。今まで買ってきたもの全てを、目の前に並べられる。そこには懐かしい思い出も、辛く悲しい思い出もあることでしょう。並べられた映像や、並べられた品物は、私の人生そのものです。
当然のことながら、映像や品物は人によって全然違います。別の人間の人生なのだから当たり前です。だけど共通していることもあります。
それは覚えていないこと。そこに並べられたほとんどの体験、ほとんどの買い物を、私たちは思い出すことが出来ません。いわゆるエキストラです。映画なら通行人のような存在。ないと映画にはならないけど、これといった存在感もない。人生や映画は、そういうエキストラで満ち溢れているのです。
余計なコト、余計なモノの方が大事だったりするかもしれない
何度人生をやり直しても、必ずそれをやりたい。必ずそれを買いたい。そんなものは数少ないはずです。生きていくために不可欠ではない。振り返ってみればそんなに重要でもない。だけどその時には必要だった。どうしてもやってみたかった。どうしても手に入れたかった。人生とは余計なことの集合体です。
どんなに偉い人も、どんな有名人も、余計なことばかりやっているのです。なぜならそれが人生の本質だから。世界70億人がその人生で体験するコト。世界70億人がその人生で買うモノ。それは余計なコトやモノばかり。つまり余計なモノやコトが、最大のマーケットだということ。
そろそろ認めましょう。無駄なく、安く、早く、などというビジネスは、人間社会のマイノリティーだということを。
