
頭で考えて動く人と感情で動く人。あなたはどっち?
<変人・安田の境目コラム>
何をすべきと考えるか。何をしたいと感じるか。人間の行動の原動力はややこしい
思考は脳が司っています。では感情はどうか。感情だって脳の産物だろう。そう考えている人は多いでしょう。だけど私は違うと思います。脳がすべてだということに、どうしても納得いかないのです。
感情は脳ではなく心の産物ではないのか。違うよ。それは脳内物質の影響だよ。知識のある人はそう反論するでしょう。確かにその通り。快感も不快感も脳内物質でコントロールされているのです。
たとえば痛いことや苦しいこと。これには不快感が伴います。だから痛みや苦しみを避けようとする。逆もまた然りです。快感を伴う行動に、人間は駆り立てられていくのです。
生命の危険に関わる行動には、不快感が与えられる。
生命の発展に関わる行動には、快感が与えられる。
ルールはとてもシンプルです。ところが人間はこのルールに反抗します。肥満なのに食べ続けたり、ガリガリなのに拒食したり、辛いトレーニングや、精神的なストレスを美徳としたり。快不快への反抗。これは一体なにを意味するのでしょう。
自分の脳みそへの抵抗でしょうか。その反抗心もまた脳みそが生み出しているのでしょうか。
理性と感情、どうして食い違うのか。食い違ったらどうしたらいいか
なぜ人は快不快に抗うのか。それは思考と感情が分裂しているからです。頭で考える快感と心が感じる快感。頭で考える不快感と心が感じる不快感。ここがズレているのです。
脳みそが壊れているからズレるのか。感情が暴走しているからズレるのか。
私は違うと思います。どちらも狂っていない。やはりそれは別ものなのです。我考える。ゆえに我あり。これが人間。我感じる。ゆえに我あり。これも人間。どちらも正しいのです。
問題はその答えがズレている場合。ここをどうやって修正すればいいのか。快不快は生命に直結しています。だけど人間はその通りには行動しない。理性という名の思考力があるから。考える。ゆえにズレる。それを脳みそで修正するのは不可能です。
ズレた時には考えるのではなく感じる。あのブルースリーの名言どおりなのです。
