働き方

「時間より成果」の議論がはらむ致命的な欠陥【瓦の目】

投稿日:2015年1月9日 / by

「時間より成果」は浸透するのか

photo0000-3089

大事なのは働く時間じゃなく成果です

いよいよ「時間より成果」が、その実現へ向け動き出す。厚労省は2015年1月26日召集予定の通常国会に労働基準法改正案を提出する。その素案では、対象が年収1075万円以上で会社にいる時間に上限を設定する、などが記されている。「長時間労働を助長する」、「残業代ゼロ法案だ」との反対意見も根強いが、本当に“成果主義”は日本に浸透するのか…。

「時間より成果」には基本的には賛成だ。長時間労働=成果ではないのは明白だからだ。長く働くことが本当に成果なら、全企業が従業員を10時間でも働かさせればいい。そうすれば、日本経済は復活するだろう。だが、現実には多くの企業が必死で長時間労働をして何とか、最低ラインをキープをしているのが現状だ。確かに、流れ作業でモノをつくる場合、労働時間が長ければ長いほどたくさん生産ができる。つまり、長時間労働がそのまま「成果」につながる。

だが、それを「成果」と呼ぶには、確実に売りさばける旺盛な市場がなければならない。人口減少で成熟期にある日本は、もはや「つくれば売れる」フェーズにはない。「売れるものをつくる」。そうしなければ生き残れない時代に突入している。だからこそ、ただ時間をかけるよりもいかに付加価値を生み出すかが重要となる。結果的に10時間かかるかもしれない一方で、わずか1時間で「成果」につながるアウトプットが生みだされる可能性もある。徒に長時間働くのではなく、メリハリをつけて働き、成果を重視して時間に対する生産性を最大化しよう――それがいま浮上している「時間より成果」の議論の本質だ。

「時間より成果」の浸透に立ちはだかる「正社員」の特異性

人口減少時代突入した日本にとって、シフトすべき理にかなった方向性である。だが、この議論を進める上で、見過ごせない欠陥がある。それは日本の「正社員」という形態の特異さを考慮していない点だ。正社員は、手厚い保護のもと、自動的に月給が支払われるシステム。もちろん、報酬は貢献度に応じ支払われるが、そこには“忠誠心”というプライスレスな要素も含まれる。その結果、業種にもよるが「成果」の部分がややあいまいになっている。サービス残業といいながら、しっかりと上司の顔色をうかがいながら、帰るタイミングを見極めるなどという芸当は、会社員という人種の特異さの象徴といえるだろう。

竹中平蔵氏は「正社員をなくせばいい」と話したという。同一労働同一賃金の文脈でのことだそうだが、「時間より成果」の議論をする上でも「会社員」という概念については再考する必要がある。現状の正社員という枠組みのままで、4時間で仕事を終えるものがいる一方で10時間以上働く社員がいたらどうだろう。必ず不満が発生するハズだ。たとえ明確に成果主義を打ち出していたとしてもだ。「なぜオレだけがこんなに働かされるんだ」。これまでの会社員という残像が色濃く残っている以上、こうした不平不満がなくなることはないだろう。それでは成果主義が浸透しても、企業が組織としてのバランスを著しく崩してしまい、本末転倒になりかねない。

本当に議論すべきは会社と社員の関係性見直し

この欠陥を解消するには「正社員」について、その在り方を見直すしかない。そもそも、成果主義は頑張った分だけ報われるシステム。逆にいえば、結果が出せない社員は冷遇される宿命にある。社会保障などの手厚い待遇だけは残すにしても報酬は、各社員の実力次第となる。つまり、正社員の特権は、成果主義となった瞬間から事実上消失してしまう。従って、ちゃぶ台返しの様だが、議論のテーマは現実には「時間より成果」ではなく、「企業と社員の関係性再構築」にスイッチすべきだ。そうすることでテーマはより明確になり、解決への道筋がみえやすくなる。

評価基準や契約スタイル、保障の在り方、解雇ルール…など、これまでの正社員の要素を一度バラバラに分解、取捨選択し、抜本的に組み直す。その上で、これまであまりに過剰だった企業の社員に対する負担や責任を減らしつつも各社員がより働きやすくなる妥協点を探り出す。結果、現状よりも会社員という地位は不安定になるかもしれない。だが、それが現実であり、また、そこをフォローをするのが、政府の役割だ。「時間より成果」を本当に浸透させるなら、現状の議論よりもさらに力強く踏み込まなければ、その足跡さえ残らないだろう。

◇参考→限定正社員

読み物コンテンツ

働き方白書について
仕事相談室について
極楽仕事術について
三者三様について
戦略的転職について
用語集について