働き方

ようやく踏み出した好きな国で人生が激変した元OL

投稿日:2017年6月15日 / by

電撃的な恋に落ち、イタリア人男性と結婚! 家族の時間を大切にするため選んだフリーライターの道

もともとは日本で仕事をするごく普通のOLだった鈴木 ココさん。阪神淡路大震災を経験したことで、「人生は一度きり!」と痛感。大好きな地で生きるために学生時代魅了されたイタリアへ移住する。移住当初は、自分の言葉でコミュニケーションをとる難しさを感じるも、今では言葉を綴るフリーライターとして活躍中だ。(powered by THE LANCER編集部)

たった一度の人生、好きなことをしなくっちゃ!

小さな頃「なんでもいいから好きなことを仕事にしなさい。専業主婦にだけはならないで」と、専業主婦の母はいつも言っていました。教員免許もあり、栄養士であるにもかかわらず、家で私たちのために、服もおやつも手作りする、完璧な専業主婦の母の言葉。

「好きなことを」と言われても、私にはかえって難しく、明確な目標を見つけることのないまま大学を卒業し、たどり着いた職業は「OL」でした。とはいっても、幸い顧客対象の販売促進の企画というポストで、仕事は楽しく、経済的にも時間的にも、海外旅行に年に二回行けるくらい、充実していました。

また、仕事を通じて、一流レストランやホテル、または劇場へ頻繁に訪れ、美しいもの、おいしいものを体験する絶好の機会を得ました。この頃、大学時代の旅行ですっかり魅了されたイタリアを毎年訪れ、また大好きなイタリアの料理の本を読むために、イタリア語の学校へ通い始めました。

二十代も後半になると、多くの同僚は大手企業サラリーマンと結婚退職していき、独身でも、結婚後でも、女性で仕事を継続する事は、まだ肩身が狭い雰囲気でした。現状に不満はないけれど、今後の会社での私の将来には希望が持てず、会社員の限界を感じ始めました。

そんな中、神戸の大震災を経験し、「人生は一度きり」ということを痛感。現状を変えたい欲求が湧き上がってきました。大学時代に訪れたヨーロッパの国々で出会った「楽しそうな大人」に対する羨望が、いつも心に残っていたからです。

私もイタリアに一年住んで旬の食材を通しで体験し、食にかかわる仕事をしたいと思い始めたものの、勇気が出ず躊躇していました。ところが転機が訪れます。定年退職後、イタリアへ移住したイタリア語学校の大先輩が、夏休みの一か月「アパート付き猫シッター」をしてくれる人を探しているというのです。冗談のようなまたとない機会に、十年間の会社員生活にピリオドを打って、三十二歳で念願のイタリアへ。一年の予定で出発しました。

周りの考えが気になり、自分の意見を言葉で表現できなかった私

まずは念願の語学学校へ通いました。国籍も年齢も全く異なる同級生たちとの学校生活は、すべてが新鮮でした。年齢にかかわらず、自分に自信があり、周りを気にせず発言する同級生たちに、人生観が大きく変化する貴重な体験でした。

特に、学校生活二か月目に、アメリカで911事件が起きたときのことです。翌日の授業は、アメリカのテロをテーマにした討論でした。アメリカ人は無言で退室しましたが、その他の学生は、アメリカのこれまでの政策や対テロについて、それぞれ各自の意見を率直に述べ始めたのです。

ところが、「アメリカと同盟国である日本人の意見」と指名された時に、意見が言えない私。大学で政治学を専攻していたものの、「被害者が気の毒」という感想しかなく、またそれを口にすることも、なぜか憚られました。十一歳の長女が、パリのテロを受けてのレポートという宿題をしていました。自分で考え、それを言葉で表現することは、とても大事なことだと思います。

学校時代は、料理コースへ通い、毎朝、市場へ足を運び、念願の旬のイタリア食材に触れる充実した日々。猫シッターの後のホームステイ先でも、おばあちゃんの家庭の料理を習うことができたのは幸運でした。

結婚と、子育て。イタリアでの専業主婦としての日々

イタリアでは日本人女性は人気ですが、私にはイタリア男性の軽薄さにも嫌気がさし、生涯一人でも生活できるよう、アメリカで栄養学を学び、本格的に料理の勉強をしよう、と考え始めました。そんな矢先、学校の先生宅のホームパーティで、現在の夫と知り合い、電撃的に恋に落ち、そのニ年後には結婚しました。結婚後、子供をつぎつぎに二人も授かるという予想外の展開でした。

ところが、公的な保育設備が整っていないイタリアでは、仕事をするにはベビーシッターが不可欠です。それならばと、子どもが小さいうちは私が家にいて、専業主婦をすることにしました。

子供たちに安全なものを食べさせたい、という気持ちからスローフードの理念に傾倒していき、料理三昧の日々でした。料理という目的があったので、イタリア語の勉強も続けることができました。

子供たちとの生活は、想像以上に毎日が波乱万丈で、髪を振り乱して笑って怒って、無我夢中の日々でした。しかし、大切な子供たちの人生の最初のページを共にすることができたのは、かけがいのない経験だったと今振り返ってしみじみ思います。

家族との時間を大切にしたいと思ったら、答えはフリーランス!

子供たちが成長するにつれ、学校へ行っている間の自由な時間も増えましたが、イタリアでは小学校の送り迎えが義務付けられています。また放課後のクラブ活動がないので、おけいこ事へ通うための送り迎えも必要です。小学生になったら仕事をしたい、と思っていても、夕方四時に子供を迎えに行ける仕事は、外国人の私には見つかりません。しかも夏に日本への一時帰国をしたいと思うと、専業主婦以外の選択肢はないとあきらめていました。

また本音の部分では、子供たちの成長を私自身が見守りたい、という希望もありました。そんな時、またまた転機が訪れます。子供の同級生のお母さんが、私のイタリア語を評価してくれ、彼女の勤務する多国籍企業のリサーチ会社で、日本案件のフリーの翻訳者として採用してくれたのです。想像以上に大変だけど、両国の橋渡しとなるやりがいのある仕事です。ネイティブチェックをしてくれる夫の協力のもと、フリーの翻訳家としてスタートを切りました。

そうこうしているうちに、翻訳のために語学学校でも専攻していた美術、歴史を中心にイタリア語を再び勉強し始め、そこで得た情報を、ブログという形で発信し始めました。思いがけず好評なブログに、「記事を企画して、仕事に繋げたら」と妹からのアドバイス。勇気を出してWEBマガジンに問い合わせたところ、イタリアからの情報発信という、フリーライターとしての仕事を始めることになりました。

十年近く専業主婦として過ごしたため、大事な三十代を無駄にした、と思ったこともありました。ですが、その時期、本気で子育てした経験、イタリアの友人から学んだイタリアのライフスタイル、そしてイタリア料理のこと、今、自信をもって自分の文章を書くための貴重な財産となっています。

子どもの帰宅時間までを執筆に、残りの時間を家族の顔を見て暮らせる「書く」というフリーランスの職業、一生の仕事にできるよう精進の日々です。将来、私なりのイタリア料理に関しても書いてみたい、という目標もできました。長い回り道をして、ようやくたどり着いた「好きな仕事」にワクワクしながら暮らしています。

▽フリーランスの情報発信メディア「THE LANCER」より転載

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