働き方

働きたくないけれど、働かなければならない私たち~勤労の義務~

「義務」…人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め(goo辞書)

私たちは「義務」であるから働いているのだろうか?もちろん、その問いに対してyesという人もいるだろう。しかし、義務だからという理由だけで私たちは働き続けることができるのだろうか。私たちの人生に「勤労」が当然のことと位置付けられたその理由を探っていこうと思う。

日本における働くことの意味

「勤労」が義務化された背景には、以下のような影響があると考えられている。

1.怠惰から脱出

封建社会であった日本は下層身分の者を救うべく役割を与えたのが「労働」である。

2.支配服従関係をつくる

「上長の命令である」という理由で、労働者は強制的に働かされていた。

3.人間らしい生活を送る

後に説明するように、労働の条件をクリアしてこそ、生活保護が受けられる仕組みになっている。
日本において、このような考え方が現在の日本の労働に対する考え方をつくったのではないだろうか。

「勤労の義務」の歴史

勤労が日本国民の3大義務であることは、多くの人が周知だろう。実は勤労が義務化されているのは、日本を含む数か国しかない。では、なぜ日本は勤労が義務化されたのだろうか?それまで、活用されてきた憲法において「勤労の義務」は定められていなかった。日本国憲法は連合国軍最高司令官総司令部のマッカーサの監督下で作成され、「勤労の義務」は衆議院で社会党によって追加修正された。この社会党が参考にしたのは、鈴木安蔵を中心となって作成された憲法案であった。その憲法案には1936年に制定されたソビエト社会主義共和国連邦憲法に影響を受けて作られている。このソビエトの憲法には社会主義の発想である「働かざる者は食うべからず」の考え方が定着していた。「勤労の義務」はこの考え方に影響を受けたといわれている。さらに、それまで定められてきた大日本国憲法には「兵役の義務」が定められていた。これに代わって、誕生したのが「勤労の義務」であると考えられている。

勤労の義務と生存権

ご存知の通り、日本国民には「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ(日本国憲法第27条)」という勤労の義務が定められている。しかしその一方で、日本国憲法第25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、この2文は矛盾するものになる。つまり、第25条を優先的に考えれば、勤労の義務を負わなくても生活が保障されると解釈することもできてしまう。ならば、私たちは働かなくても生活を保障されるのではないかと考えがちだが、そうではない。生活保護法第4条では「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」と記されている。つまり、勤労の能力があり、その機会もあるのにも関わらず、勤労しようとしない者に対しては日本国憲法第25条の生存権は保障されないのだ。それは勤労の義務を果たしている者が生活保護を受ける資格があるということができる。つまり、ここでは「勤労=生存」と考えられているのではないだろうか。

だがいくら法規範の頂点である憲法で定められているとはいえ、どうしても働きたくない、働く日数を減らしたいという人もいるだろう。そんな人におすすめなのが「副業」である。メインの仕事を削るかわりに、副業で自分のやりたいことを追及してみてはどうだろうか。

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