働き方

忙しい時と時間が余っているときの時間は同じなのか…

投稿日:2016年5月16日 / by

時間の長さは同じではない

時間の長さは同じではない。私はそう思っています。子供のときの1年はもっと長かったですし、集中している時の1時間はとても短く感じます。

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私はもう50歳ですから、1年は人生の50分の1に過ぎません。これが10歳の時には、10分の1だったわけです。だからとても長く感じたのでしょう。でもやっぱり、1年は1年、365日の長さは同じはずです。

やる事がなくて、時間が余っている時。もの凄く忙しくて、時間が足りない時。どちらも時計が進む早さは同じです。でも同じだとは思えないですよね。

夏休みの最初の1日と、最後の1日。どちらも同じ1日ですが、やっぱり違う長さに感じます。それは錯覚だ。どちらも同じ長さなのだ。頭では分かっていますが、どうも納得がいかないのです。

そもそも時間とは何でしょう。他人とのコミュニケーションのために、決められた目印。たとえば電車の時刻表とか、会社の始業時間とか、待ち合わせとか。共通の時間がないと、とても不便です。

あれ?お前の8時は俺の9時だったの?なんてことになると、ややこしい事この上ないです。だからやっぱり、共通の時間は決めた方がいい。1年は365日で1日は24時間。地域ごとに時差があって、4年に1回うるう年がある。

人類が同じ時計を持つ理由とは

人類がみんな同じ時計を持つ事によって、移動も、待ち合わせも、映画鑑賞も、食事の予約も、とても効率よく、混乱なく、スムーズにいくわけです。

でも一方で、こうも思うわけです。本当に一人ひとりの時間の長さは同じなのだろうか、と。世界各地での時間の長さや、過去と現在での時間の長さは、同じではないかもしれない。いや、絶対に同じではない。そんな気がするのです。

もちろん、時計の針が動く早さは同じです。誰の時計も、どこの地域の時計も、どの時代の時計も、同じ早さで時を刻んでいる。でもやっぱり、流れている時間の長さは同じではない。そう思えてならないのです。

体感時間。そう言ってしまえば、個人個人の思い込みのようにも感じます。でも本当にそうなのでしょうか。もしかしたら本当に、時間の長さが違うのではないでしょうか。時計の針は私とは関係のないところで進んでいます。でも一方で、私の中にも時間があるのではないか。そんな気がするのです。

セミは成虫になると1週間しか生きられません。でもその期間は、彼らの中ではもの凄く長いかもしれない。幼虫の時には何年間も、暗い土の中で過ごします。でもその期間は、彼らにとってあっという間かもしれません。

宇宙の歴史、地球の歴史から見れば、私たちの一生など、一瞬にも満たないのです。でもその一瞬に、様々な葛藤があり、喜怒哀楽があり、出会いがあり、別れがある。それはどう考えても、一瞬ではありません。

客観時間と主観時間。きっとそのどちらも本当の時間なのです。


<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)
yasuda21965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。最新刊「自分を磨く働き方」では、氏が辿り着いた一つの答えとして従来の働き方と180度違う働き方を提唱している。同氏と差しで向き合い、こだわりの店で食事をし、こだわりのバーで酒を飲み、こだわりに経営について相談に乗ってもらえる「こだわりの相談ツアー」は随時募集中(http://brand-farmers.jp/blog/kodawari_tour/)。

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