
継続は力なり。死ぬまで努力を続けるコツ
わたしが50歳で走ることをやめたワケ
50歳になった時、私は走ることを止めました。ジムでのトレーニングの話です。私は39歳の時からジムに通い続けています。かれこれ11年以上、毎週日曜日。自己破産した時に、お金が無くて半年だけジム通いを止めました。でもそれ以外では、ほとんど休んだ事がありません。
ジムではいつもウエイトトレーニングをしています。きっかり1時間。トレーナーさんに付き添ってもらい、決まったプログラムをこなしていくのです。
ジムに通うのは、体力と体型を保つためです。そして人生のバランスを保つため。本当は、運動は好きではないのですが、運動する事によって「生きている」ことが実感出来ます。
ムキムキな身体になることは目的ではありません。そんな身体をした自分は不自然です。めちゃくちゃ体力をつけたいわけでもないし、トレーニングによって自分を追い込みたいわけでもありません。私はただ、きちんと生きていきたいのです。
緩やかに劣化していく目的のトレーニング
週1回のトレーニングだと、筋肉量は増えません。筋肉量アップを目的とした、ハードなトレーニングもしません。今の体力と体型を保ちつつ、緩やかに劣化していく。かなり消極的ですが、それがジムに通い続ける目的なのです。
ウエイト・トレーニングは1時間ですが、終わった後に30分だけランニングをします。40歳になった時、プログラムにないメニューを勝手に組み込んだのです。
走る事は、ウエイト・トレーニング以上に嫌いです。でも50歳までは走り続けようと決めました。ひとつは体力をつけるため。もうひとつは、嫌な事をあえてやり続けるため。根性をつけることが目的ではありません。だからここでも、ハードな走り方はしません。嫌だけど、続けられる程度のしんどさ。それを10年間続けられたら、少しは自分が好きになれそうな気がしたのです。
私は10年間走り続けました。結果、大して自分を好きにはなっていません。でも走る事を止めていたら、もっと自分が嫌いになっていたかもしれません。
そしてめでたく10年が経ち、50歳になると同時に、私は走る事を止めたのです。今はマシンの上を歩いています。走っていた時に比べたら、もの凄く楽です。でも、全く罪悪感はありません。むしろ壮快な気分です。
走っていたのを、歩きに変えたのですから、当然体力は下がります。でもそれでいいのです。次の50年は歩く。それが私にとっての、小さく正しい努力なのです。決してやり過ぎず、でも休まず、サボらず、死ぬまで努力し続けようと決めているのです。
<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)
1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。最新刊「自分を磨く働き方」では、氏が辿り着いた一つの答えとして従来の働き方と180度違う働き方を提唱している。同氏と差しで向き合い、こだわりの店で食事をし、こだわりのバーで酒を飲み、こだわりに経営について相談に乗ってもらえる「こだわりの相談ツアー」は随時募集中(http://brand-farmers.jp/blog/kodawari_tour/)。