
パラリンピックはなぜ面白いのか【瓦の目】
パラリンピックの楽しみ方
パラリンピックが盛り上がっている。オリンピックに比べれば注目度は低いかもしれないが、見ごたえは負けず劣らずだ。ハンデがあるのに頑張っている。そんな見方では魅力は半減するだろう。ハードなトレーニングを乗り越えたアスリートとしてみれば、純粋に尊敬できる。
男子1500m(視覚障害)では、4人が五輪金メダリストの記録を上回るという出来事があった。レースだけをみているとランナーに視覚障害があるとは思えない豪快なフォーム。一心不乱のその姿はみているだけで感動する。その裏にすさまじいトレーニングがあったことは想像に難くない。優勝したバカは「金メダルを取るのは簡単でない。約2年間、休まずに練習しているが、練習は本当に大変です」と語った。シンプルだが、グッと伝わる言葉だ。
障害=ハンデは健常者のエゴ
世界記録を上回る様な成績を出すパラリンピアンは、これまでにも存在する。ただし、義足のおかげだと物言いをするオリンピアンもいる。悲しいことだ。純粋に能力だけにフォーカスすれば、ただただリスぺクトの気持ちしか起こらないハズだ。
エン・ジャパンの調査では、障害者雇用の法定雇用率を達成している企業は31%。8割以上が前向きに検討していると回答している。一方で「適した仕事がない」を課題としている。適した仕事がないのは誰が決めたのか。手のない人が卓球をしたり、半身不随の人がテニスをするのだ。しかも水準以上のレベルで。無理やりやらせる必要ははもちろんないが、「障害者だからできない」。それは固定観念でしかなく、そもそもそんな仕事などないだろう。