働き方

「良妻賢母」は死語になり、いまは「労妻兼母」の時代? 【瓦の目】

投稿日:2016年2月19日 / by

はるか昔のことに様に感じる「良妻賢母」が美徳だった時代

その昔、既婚女性は「良妻賢母」がよしとされていた。その意味するところは、女子本来の任務は家を守り、整え、子を産み、育てることにあるとする思想に基づいた婦人の理想像を表わす。私の母は大学で家政科に進み、父と結婚した後、専業主婦として3人の子を立派に育て上げた。まさに画に描いたような「良妻賢母」であった。

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平成も四半世紀を3年過ぎたいま、その言葉はほぼ死語に近く、女性活躍が推進されている。男女雇用機会均等法は30年以上前に施行されたが、なぜか声高に叫ばなければ、いや、声を張り上げても推進されそうなムードはない。佳境に入ったNHK連続テレビ小説「あさが来た」で、あさが女学校設立に動くプロセスでこんなシーンがある。熱く女子大学設立を語るあさに対し、協力を求めた有力者が<女子の教育は必要だが、それは良妻賢母になるため>と言い放つのだ。

なぜ女性活躍の意識にはずれが生じるのか…

あさにとって、女性が大学で学ぶ機会を創りだすことは、ビジネスの世界へ進出できる可能性を拡げるため。女性が大学で学ぶことでは意見が一致しても、その目的は、男性とは微妙にズレてしまう。結果的に日本初の女子大学設立を実現するが、その過程で生じたのと同種のズレが、いまだに政府があえて女性活躍を叫ばなければならない理由の根底にあるのかもしれない。

つまり、いまの女性は社会で活躍することには前向きだ。そこは進歩している。しかし、管理職になり、責任を背負うことまではしたくない。ところが、政府の打ち出す女性活躍は、人口減少に伴う労働人口減を背景に、ややトーンダウンはしたものの管理職になることも推奨している。イノベーションやグローバルスタンダードといった言葉もチラつく。だが、働く女性にとって、そんなことに思い入れはない。微妙だが、埋めがたいズレがある。

家庭を守るために様々な努力をするのが「良妻賢母」だとすれば、主に生活費のために働くいまのママ社員は何と表現するのがいいのだろう…。やや失礼だが、「労妻兼母」が何となくしっくりくる。この気の毒な状況をどう打開するのか、を声高に叫ぶのが政府の役割で、女性は、自分らしくいられるにはどうすればいいのかをじっくり考えことが最優先。そして、男性は、あさのダンナのように、妻が出した答えをどっしりと受け止めつつ、育メンにも向き合う。それが30年以上、一向に変わらない男女の働き方格差を打開する理想の方程式のような気がしている。

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